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びぶりおふぃりあ

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兄のトランク (宮沢清六/ちくま文庫)




岩手山を見た。
秋田新幹線の窓から見た。
初めて見たように思う。

岩木山


岩手山の風貌はずんぐり頭にドテラ着て体を丸め、ぷいっと雲のマフラー巻いている。
かっこいいなぁ。
一目ぼれしてしまった。


『春と修羅』

岩手山

そらの散乱反射(さんらんはんしゃ)のなかに
古ぼけて黒くゑぐるもの
ひかりの微塵系列(みぢんけいれつ)の底に
きたなくしろく澱よどむもの




宮沢賢治の詩集『春と修羅』の中で空の青や光と対比して、「古ぼけて黒い」、「きたなくしろく澱む」と表現されている岩手山

一方で、宮沢賢治はずいぶん頻繁にこの山に登り地理に精通していたようで、弟宮沢清六は『兄のトランク』に納められた『麓の若駒たち』では、弟にせがまれて岩手山を案内する宮沢賢治の様子が生き生きと描かれている。
賢治は農林学校の3年だったと書かれているから二十歳を過ぎたころか、弟清六とその友達は中学に入ったばかりで十三、四歳という一行は山中で突然どしゃぶりの雷雨に降られて道をみうしない、いったん昨夜泊めてもらった宿に引き返すことになるのだが、その翌日、大雨に洗い替えられたような岩木山に再び上る。

翌朝、明るくなってから私たちはまた昨夜の道を上っていった。‥‥‥私は生涯あの朝のように新鮮で、立派な岩手山を再び見ることは出来ないと思う。


そして中学一年の清六とその友達は躍る心に駆り立てられるままに頂上に向かって走り出し、その様を喜んで賢治が見ている…という少年時代の情景が生き生きと描かれていて、4ページほどの大変短い文章だが、宮沢賢治の全てがしまい込まれたたんすの引き出しがからりとあけられたような、一度読んだら忘れがたい名文である。

『兄のトランク』には、こうしたエッセイが数多く収められている。賢治が成績が振るわず父政次郎が学校に呼ばれるのを避けようと画策した十一月三日の手紙、など、宮沢賢治を好きな読者なら興味深い内容。
それを、さすがあの宮沢賢治の弟、と唸らせる、素直で美しい情景描写を簡単で分かりやすい文章でしたためられている。

宮沢賢治は岩手は花巻の裕福な質屋の長男だったが、農業の勉強をして東北の農業の改善を夢見たり童話や詩を書いたり日蓮宗に没頭したりと家業を継ぐことから逃げ回っていた。その跡目を代わって継いだのが弟清六である。

清六、六とつくからには六番目の子なのかもしれないが、少なくとも大きくなるまで残った子どもたちの中では4番目の子である。
宮沢賢治と言えば代表作である『春と修羅』の『永訣の朝』でうたわれた妹のトシが有名。
さらにもう少し宮沢賢治に詳しい人であれば彼の作品を世に出すことに尽力した弟清六の存在を知っているかもしれない。
それ以外にもあと二人妹がいて、シゲは宮沢賢治に関する書籍も出している。
裕福で教育熱心な家庭だったのだなということがこういった兄弟たちの足跡からも察せられる。

タイトルの『兄のトランク』とは、宮沢賢治が童話や詩の原稿をぎっしり詰めて弟清六に託して亡くなった、あのトランクである。
このトランクがどこでどうやって買われて、それを持っている賢治がどのような印象だったかということも、このエッセイ集の中に収められている。

どうしてこの本を買ったのかといえば、窓からみた岩手山の魅力を、くさしているともとれる『春と修羅』『岩手山』の宮沢賢治の描写の謎に少しでも迫ることができればという思いからである。

「古ぼけて黒い」、「きたなくしろく澱む」岩手山。

といっても、『雨ニモ負ケズ』で書かれている賢治のなりたい人物像はでくのぼうと言われるような人なのだから、賢治の価値観からすれば悪く言っているのではないのかもしれない。

妙にそれが気になって、とりあえず関連するものには何でも触れてみようと、Amazon Prime Videoで『銀河鉄道の父』を見たりなどもしてみた。

そんな疑問に答えてくれたのが、この『兄のトランク』である。

宮沢賢治は岩手山を深く愛していた。
空や光のような美しく自分から遠い理想としてではなく、自分たちでくのぼうのすぐそばにうずくまっている大きな存在として。

きっと。