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びぶりおふぃりあ

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ワーニャ伯父さん チェーホフ ②魔性の女エレーナとは何者なのか

今回も『ワーニャ伯父さん』について書いていこうと思う。



前回の記事はここ!
『ワーニャ伯父さん チェーホフ ①あらすじ』

前回の最後に、チェーホフが描きたかったことを紐解くカギとして、セレブリャコフ一家が次の世代への関心がないということを書いた。
今回はその話をする前に、『ワーニャ伯父さん』のストーリーのほとんどを占めているエレーナをめぐる恋愛模様について書いていこうと思う。

自作の登場人物一覧(前回参照)をここに貼っておく。

ワーニャ 田舎の地主の長男。土地を妹に譲った後もその管理に長年従事してきた。47歳。独身。
ソーニャ ワーニャの姪。母亡き今は領地の地権者。ワーニャと共に献身的に領地を守り、家族の間で控え目に立ち働いている。独身。
セレブリャコフ ソーニャの父。退職した大学教授。妻を亡くし最近年甲斐もなく20代の後妻をめとった。
エレーナ セレブリャコフの後妻。とてつもなく美人。27歳。
アーストロフ 一家と懇意にしている医者。セレブリャコフの痛風の治療のため訪れる。



■魔性の女エレーナとは何者なのか

セレブリャコフ教授の若き後妻エレーナは会う男会う男みな魅了する魔性の女だ。
男たちは『彼女は取り立てて中身というもののない軽薄な女だ』、と蔑みながらもことごとく彼女の魅力の前にひれ伏す。

エレーナは特に男たちを誘惑しようとしているわけではない。結婚しているのに言い寄られることにうんざりしている。しかし、セレブリャコフ教授が引退して社会的地位を喪失しつつある、ということが男たちに『自分にもチャンスがあるかもしれない』という夢を見させるのだ。

片田舎で、釣り合いの取れる美女が身の回りに現れることがほとんどないのかもしれない。

いい年をしたワーニャもエレーナに恋をするし、年を取ったと実感している医者のアーストロフもエレーナを物にしようと虎視眈々狙っている。退職したセレブリャコフ教授もエレーナを妻としながら彼女を手に入れることはできないという絶望感に苛まれている。

若さを失った、三人の男たち。

ワーニャは『あなたはぼくの仕合せ、人生、青春なんだ。』とエレーナをかき口説き、アーストロフは『こういうのは愛じゃない、愛着でもありません』と言いながらなんとか営林署に彼女を連れ込もうと必死になる。セレブリャコフは老いさらばえて病にとらわれて夫婦水入らずの時間をエレーナの愛情への疑いと愚痴で埋め尽くす。

エレーナはといえば、自分は不幸だと、どこに言っても添え者扱いなのだとこぼす。
ペテルブルグの音楽院を出ているが、気の赴くままにピアノを奏でることすら、気難しいセレブリャコフに許されない。

彼女にもっとも近くまで迫ったのは医師のアーストロフで、彼女を惹きつけ、抱きしめることに成功する。
それでいながら、アーストロフ医師はエレーナにこんなことを言うのだ。

あなた の 存在 自体 には 妙 な ところ が ある。 あなた が ご 主人 と こちら に 見え てから、 これ まで 曲がりなりにも 物 を こさえ たり、 あくせく 立ち働い て い た 連中 も 仕事 を 放りだし、 この 夏 は ご 主人 の 痛風 や あなた に 振りまわさ れ っぱなし だっ た。 あなた と ご 主人 の お 二人 は、 みんな に 怠け 癖 を 伝染 さ せ た の です。 ぼく だって あなた に のぼせ て、 まる ひと月 何 も し ちゃい ませ ん。 その間 病人 は 増え、 ぼく の 森 や 若木 の 森 では 百姓 たち が 好き 勝手 に 牛 や 馬 に 草 を 食ま せる あり さ まだ……。 こんな 調子 で、 あなた と ご 主人 は 行く 先々 で 人 を 腑抜け にさ せる……。

チェーホフ. ワーニャ伯父さん/三人姉妹 (光文社古典新訳文庫) (Kindle の位置No.1298-1304). 光文社. Kindle 版.



このアーストロフの言葉からは、エレーナとは生身の女ではなく、ごく象徴的な存在なのだということが感じられる。
とはいえ、こういった年寄りと若者という構図でよくありがちな『喪失した若さ』の象徴ではなさそうだ。

田園でまじめに働いていた人々がすっかり怠惰になってしまう、ということから明らかなのは、セレブリャコフ教授の再婚が、勤勉に働きながら順当に年を取って死んでいくというまとも(だと考えられている)生活を否定するものだ、ということだ。
エレーナは『老いを忘れるために享楽的に生きること』を象徴している。

それって今の世の中そのものではないだろうか。
つまりエレーナは、現代社会を予兆しているのかもしれない。

時は19世紀。チェーホフの世界では、『老いを忘れ享楽的に生きる』ことは、『神の前では到底許されない』というキリスト教的な不吉な予感を孕んでいる。そのことが、この芝居のすみずみまでしみわたっている。
そしてこの人々の暮らしの中に、つまりこの演劇の中に、享楽そのものを味わっているものはいない。あくまでも中身のない幻想でしかない。

それを悲しいととらえるべきか、それとも、うらやましがるべきなのか、現代を生きる私は迷うのである。




続きはまたこんど

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