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エミリ・ブロンテ

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オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメ対象:愛の乞食である私達みんな
オススメポイント:怯むことなき粗野な確信
4003223314嵐が丘(上)
エミリー・ブロンテ 河島 弘美

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愛が何なのか、断言できない。
目と目があった瞬間に、好きだと感じたら、それが愛なのだと、十代のころは思っていた。
全身の血が重たくなるような優しい気持ち、それが愛なのだと、二十代のころは思っていた。
そして33歳の今、愛って、ある確信のことなんじゃないかと、思っている。

「彼は私で、私は彼なの。」
「嵐が丘」のキャシーは言う。
「あたしはヒースクリフなのよ、ネリ!彼は、いつでも、いつでも、あたしの心の中にいる。よろこびとしてではないかも知れぬということは、あたしがあたしにとって、いつもよろこびだといえないと同じだけど、彼はあたし自身と同じ存在なのよ。だから、あたしたちがはなればなれになるなんて、二度といわないでちょうだい。そんなこと、できはしないことよ。」
キャシーとヒースクリフは最初から確信しているのだ。だから彼らは「おまえは私を愛しているのになぜ裏切った!」と互いを殺すほど責め苛むことができる。彼らは「私のこと愛してる?愛してない?」なんて言わない。確認など一度たりともしない。それこそが、「嵐が丘」の比類ない激しさだ。

恋は勝負や収穫と勘違いされることがある。どっちが多く好いているのかとか、愛されている証拠を飽くことなく求め続け、贈り物がどっさり積み上げられないと満足できない。愚かしく自分を守り、二人になれない。
けれど激しい恋の極まるところでふいに、わかる瞬間が来る。彼は私で、私は彼なのだ、と。私が彼を愛していることと、彼が私を愛していることは、確認したり比べたりするようなことじゃなく、ひとつのこと、つまりこれは私達の愛なのだ、ということを。

「嵐が丘」で彼らの恋は他のロマンスのように美しいこと楽しいことせつないことを歌わない。そういったことは極端に簡素な表現でそっけなく語られるだけだ。そう、たとえば「いつもいっしょに荒地で遊んでいました」みたいな風に。
詳しく語られる彼らのロマンスは互いを罵り合い傷つけ合い苦しめ合うことだ。
互いが一つであるという確信、絆というものは、決して楽しみや美しさからは生まれない。それは深い苦しみからのみ、立ち上がってくるものだ。
彼らの間で肉体的な欲望が問題になることはない。そこにはもちろん時代的背景が存在するのだろうが、それを忘れさせるのは「嵐が丘」がセックスなど一切なくても胸貫き息奪うほどの官能を謳っているからだろう。互いを自分自身だと思い、相手がそう思っていることを知っている、彼らにとって肉体は彼らが一つにまじりあう妨げとなる魂の牢屋であり、死によってその牢獄から解放されることだけが喜びなのだ。

多く愛されることや、めくるめく快楽などいったいなんだろう。「嵐が丘」を読むと、そう思うのだ。

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