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ドイツ文学

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オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメポイント:従えと言ってくれ給え

城
フランツ カフカ Franz Kafka 前田 敬作

新潮社 1971-04
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迷宮の魅力とはなんだろう。
解き明かしたい、脱出したいというパズルを前にした興奮。
そして、ぬけだせない不安とないまぜになった、何かにくるまれている安心感。そう、すっぽりと。

フランツ・カフカは人生も小説も全て徹底した人だ。もうこれでもかという徹底した奇妙さ。どんなに小さな段落であってもひとつひとつの文章が宿命的に持っている強い不透明感。どこからも始まらずどこへもたどり着かぬ煮こごって動くことのないドラマ。不条理も突き詰めれば条理となる。

名前もはっきりしないある冬の村に、Kという男がよそ者としてたどり着く。彼は測量技師として城から招かれたはずだった。しかしこの村で見た目と内容が一致することはない。Kが確信していたところのアイデンティティー、測量士としての仕事は村によって徹底的に否定される。彼が測量士であるということが疑われ、測量士の仕事が村にとって必要なのかということが疑われ、ゆるやかに剥奪される。彼は何度もアイデンティティーを喪失し、また別に手に入れなおすのだが、そのたびそれは常に否定され、剥奪される。ある女の婚約者になったり、用務員としての職を得たり、そんなささやかなことすべてがすぐに変容してしまうのだ。手に入れたそばから手の中で。ここでは手に入れたものはあっというまに陳腐化してしまう。そして飲み込まれ還元されるのだ。個々人の輪郭など失くしてしまった、世間というカオスに。
そのとき暴露されるのだ、灯りなどともることのない闇の中にあってすらあからさまに、「世間」と「よそ者」との境界が。

よそ者であるKには村人の心は閉ざされている。彼は否定され、存在を喜ばれない。
ただふしぎなことに、時折人物が真実を吐露するかに見えるのだ。
それはKとそれらの人物たちがふたりっきりになったときだけにあらわれる。
ひとは理解しあい愛し合うとふたりきりになりたがる。けれどただの偶然がもたらしたふたりという単位ですら、人々にある作用を及ぼす。彼らは望むと望まずとに関わらず近付いてしまう。その親密さ、非常なプライベート、近親相姦的な肌合い、この肌に感じる息の暖かみと湿り気、それは他の条理に則った小説では到底実現できない。
”橋亭”のおかみが、酒場のペーピーが、役人の秘書が二人になったとたんに胸襟をゆるめ心うちとけてくる。彼らが今告げているのは真実なのだ、と私は感じる。言葉によってではなく、濃密な空気がそう思わせる。私はあまりに重苦しい感動に押しつぶされそうになる。彼らの真実に奇抜さも新鮮さもないというのに。それは古臭く暗愚な繰言に過ぎない。ただよそ者に思いがけず開かれる彼らの心に感じてしまう。
しかしその融和は一瞬の後に幻想と化す。
ふたりきりでなくなった途端、世間に立場を付与された途端。

ところで城とは一体何なのか。執拗に具体的に描かれた村と異なり、「城」はいつもおなじように仄めかされるだけでその姿を見せはしない。盲目的世間である村に対極するわけでもない「城」。それは何を表しているのか。
権威ではない、と私は思う。傲慢でも、ない。
「城」はただ「不在」を表している、そんな気がしてならないのだ。従えるもの「城」と、従うもの「村」。歴史はいつも「城」しか伝えてこなかったけれど、真に実体をもっているのはおぞましく暗い「村」だったのかもしれない。従うものだけが存在し、従えるものは形骸でしかない。ただただ虚ろだ。
けれどこの村はそんなことは意に介さず綿々と続いていくのだ。村は悲しまない。個人の輪郭を持たない、村は。


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