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不条理

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オススメ度:☆☆☆★★

三人関係
三人関係多和田 葉子

講談社 1992-03
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おすすめ平均 star
starこの著者ならではの視点

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冒頭:

九時十七分着の夜行列車が中央駅に止まると、車体が傾いていたのか、それともプラットホームが傾いていたのか、私は列車から降りようとした時、けつまづいて放り出され先に飛んでいった旅行かばんの上にうつぶせに倒れてしまった。背後で男の声がしたが、それが私が押したんじゃありませんよ、という意味なのか、わからなかった。(かかとをなくして)



収録作品:
かかとをなくして
三人関係

あらすじ:
かかとをなくして
   書類結婚でヨーロッパにやってきた主人公は、教えられた住居に行くが夫に会うことができない。道行く人にかかとを見つめられ、かかとに欠陥があると指摘される主人公は、やがて夫の部屋の鍵をこじ開ける
三人関係
   心酔している女流作家と夫である画家とその教え子との三角関係ならぬ三人関係へのしずかな妄想。吉行淳之介の『鳥獣蟲魚』や小池真理子『恋』を思わせる。

感想:
黙るしかない、という相手がいる。
「この前アフリカのコンテンポラリーアートの展覧会に行っ―――」
「アフリカのコンテンポラリーアート?今アフリカのコンテンポラリーアートって言った?」
「・・・・・・うん、だいたい活動の場はパリとかニューヨークとかなんだけ―――」
「でしょ。アフリカに、コンテンポラリーアートはないわよね」
終わり。
彼ら一人一人の活動の場がどこであっても、アフリカ人である人々の作品を伝統やヨーロッパからの抑圧などのいくつかのテーマごとに展示した展覧会は見ごたえがあったのだが、すっかり出鼻をくじかれて、黙ってしまった。
彼女はとても頭の良かった幼馴染で、何事も彼女に話をするのがいつも楽しみだったのだが、高名な評論家に師事するようになるととんでもなく鼻持ちならなくなり、おまけに退屈になった。彼女が退屈な人になったのではなく、ただ会って話をするしか遊びがなく、またそれで充分だった関係が突然、私が喋らせてもらえなくなったので退屈するのだ。
多和田葉子の話である。
「多和田葉子って、すごくいいなと思って―――」
「あれ?あなた、『かかとをなくして』をけなしてなかった?ピンとこなかったって。」
「ああ、あれ、多和田葉子だっけ。私がいいと思ったのはね、『アルファベットの傷口』と、」
「そうよ、ピンと来なかったって言ってたわよ。私、ああいう人が文学者なんだと思うわ。うちの先生は最初から彼女を認めていたの。他の人たちは半信半疑だったけれど、ぜったいすばらしいって、言ってたんだって」
「・・・・・・そう」
以来怖いような気がして、『かかとをなくして』を再読する機会を失っていた。
恐る恐る読んでみると、やはりピンと来なかった。安心した。

列車での旅、学校への奇妙な憧憬、異国での戸惑い、のどかでリアルな性、これらは後にもずっと登場する多和田葉子特有のモチーフである。
ストーリーは社会に属さない異邦人である主人公がひとりごちに他人や彼らのルールを解釈し奇妙な共生をしながら、摩り替わり移ろっていく自らの目的を探求しするというパターン。
『罰を受けないカフカ』―――そこにもはやカフカの面影はないが―――とでもいうような穏やかな異分子であり、悲しみのメタファーとしての不条理である。
それもこれも多和田葉子特有のものなのだが、私が好きな多和田葉子ではない。
それは、主人公が無知無能な理由が単に無知無能によるもののように感じられるからだ。
多和田葉子は本当に頭の良い人だ。
日本でも高名な賞をいくつも取っているし、ドイツ語でも小説を書いていてドイツでの評価も高い。それが文字の間からはっきりわかる。
にもかかわらず主人公が無知無能であるがゆえに社会からドロップアウトしているというのが、何かすっきりしない。もやもやした不快感が残る。
後の作品では、主人公が社会不適合として疎外される理由も無知無能という役割を与えられる理由も「異邦人」ということになっている。『かかとをなくして』ではおかしいのは自分ばかりだが、後の作品では周りの他人もおかしいのだ。とてもシンプルだし、隠しようのない知性にもそぐう。

追記:
ところで、『かかとをなくして』のイカのことは、どのように受け止めたらいいのだろう。それがずっと自分を覗いていたと思うとコミカルにならざるをえないし、じゃあ最後はなんなんだ、っていうのもおさまらない。
『三人関係』の、誰もが肌が透明に見える主人公が綾子とであったときに彼女の肌だけは質感があると感じるさまは、吉行淳之介の『鳥獣蟲魚』の誰もが石膏色に見えたけれどあるとき人間の肌に見える女と出会うというのと同じだ。


10進分類:913.6
内容分類:純文学

時代背景:不明

受賞:『かかとを失くして』第34回群像新人文学賞(1991年)

漢字の難しさ ☆☆★
表現の難しさ ☆☆☆
文体の読みにくさ ☆☆☆
テーマの重さ ☆☆★
テーマの難解さ ☆☆☆

所要時間:1時間
『かかとをなくして』30分
『三人関係』30分

三人関係
三人関係多和田 葉子

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関連タグ : 多和田葉子, 著者名:多和田葉子, 純文学, 日本文学, 不条理,

オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメポイント:従えと言ってくれ給え

城
フランツ カフカ Franz Kafka 前田 敬作

新潮社 1971-04
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迷宮の魅力とはなんだろう。
解き明かしたい、脱出したいというパズルを前にした興奮。
そして、ぬけだせない不安とないまぜになった、何かにくるまれている安心感。そう、すっぽりと。

フランツ・カフカは人生も小説も全て徹底した人だ。もうこれでもかという徹底した奇妙さ。どんなに小さな段落であってもひとつひとつの文章が宿命的に持っている強い不透明感。どこからも始まらずどこへもたどり着かぬ煮こごって動くことのないドラマ。不条理も突き詰めれば条理となる。

名前もはっきりしないある冬の村に、Kという男がよそ者としてたどり着く。彼は測量技師として城から招かれたはずだった。しかしこの村で見た目と内容が一致することはない。Kが確信していたところのアイデンティティー、測量士としての仕事は村によって徹底的に否定される。彼が測量士であるということが疑われ、測量士の仕事が村にとって必要なのかということが疑われ、ゆるやかに剥奪される。彼は何度もアイデンティティーを喪失し、また別に手に入れなおすのだが、そのたびそれは常に否定され、剥奪される。ある女の婚約者になったり、用務員としての職を得たり、そんなささやかなことすべてがすぐに変容してしまうのだ。手に入れたそばから手の中で。ここでは手に入れたものはあっというまに陳腐化してしまう。そして飲み込まれ還元されるのだ。個々人の輪郭など失くしてしまった、世間というカオスに。
そのとき暴露されるのだ、灯りなどともることのない闇の中にあってすらあからさまに、「世間」と「よそ者」との境界が。

よそ者であるKには村人の心は閉ざされている。彼は否定され、存在を喜ばれない。
ただふしぎなことに、時折人物が真実を吐露するかに見えるのだ。
それはKとそれらの人物たちがふたりっきりになったときだけにあらわれる。
ひとは理解しあい愛し合うとふたりきりになりたがる。けれどただの偶然がもたらしたふたりという単位ですら、人々にある作用を及ぼす。彼らは望むと望まずとに関わらず近付いてしまう。その親密さ、非常なプライベート、近親相姦的な肌合い、この肌に感じる息の暖かみと湿り気、それは他の条理に則った小説では到底実現できない。
”橋亭”のおかみが、酒場のペーピーが、役人の秘書が二人になったとたんに胸襟をゆるめ心うちとけてくる。彼らが今告げているのは真実なのだ、と私は感じる。言葉によってではなく、濃密な空気がそう思わせる。私はあまりに重苦しい感動に押しつぶされそうになる。彼らの真実に奇抜さも新鮮さもないというのに。それは古臭く暗愚な繰言に過ぎない。ただよそ者に思いがけず開かれる彼らの心に感じてしまう。
しかしその融和は一瞬の後に幻想と化す。
ふたりきりでなくなった途端、世間に立場を付与された途端。

ところで城とは一体何なのか。執拗に具体的に描かれた村と異なり、「城」はいつもおなじように仄めかされるだけでその姿を見せはしない。盲目的世間である村に対極するわけでもない「城」。それは何を表しているのか。
権威ではない、と私は思う。傲慢でも、ない。
「城」はただ「不在」を表している、そんな気がしてならないのだ。従えるもの「城」と、従うもの「村」。歴史はいつも「城」しか伝えてこなかったけれど、真に実体をもっているのはおぞましく暗い「村」だったのかもしれない。従うものだけが存在し、従えるものは形骸でしかない。ただただ虚ろだ。
けれどこの村はそんなことは意に介さず綿々と続いていくのだ。村は悲しまない。個人の輪郭を持たない、村は。


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