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人生

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オススメ度:☆☆★★★
オススメ対象:頭髪の残りが気に掛かったら
オススメポイント:紀元前のバーコード

人生の短さについて 他二篇人生の短さについて 他二篇
セネカ Lucius Annaeus Seneca 茂手木 元蔵

岩波書店 1980-11
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「ねえ死んだらどうなるの?」
子供の頃そう聞くと父は
「何もなくなるんだよ」
と答えた。
しばらくの間、父はなぜあんな心無いことを言ったのだろうと、私は考えていた。子供に教えるにはあまりに身勝手な正しさに思えたから。そうだ、子供に教えるとしたら、星になるとか、きれいなお花畑のあるばしょでおばあちゃんに会えるとか、そういうことを言うのがまともじゃないか?
でも今にして思えば、誰よりも父自身が「何もなくなる」ことを恐れていたのだろう。その理不尽さへの恐れは、彼自身にもどうにもならないほど深かったに違いない。その魂の震えが、その瞬間に、娘に継承されたから。そのとき、私たちの背骨は一列に繋がったから。
その日から、私はその解けることのない謎を抱えている。そしてきっとわが子にもそれを引き継いでしまうのだろう。
さておき、父はその代償というか、代替機能として、私にひとつのレトリックを与えた。それはたぶんギリシャかローマ時代の古いレトリックだったと思う。
「目的地までの残りの距離を二等分し、つねに1/2しか進まないよういすれば永遠に目的地まではたどり着かない」
確かに新宿を目指して大門を出発し、まず青山一丁目まで、次は千駄ヶ谷、ここから信号いくつとか、何歩とか、何センチとか、数学的には夢幻に1/2できるわけだから、永遠に新宿に辿りつかない。
それを父は死を恐れる私に、人生に当てはめてみせて与えたのだった。
レトリックにごまかされるのはたいてい大人であって、子供の直感はその滑稽さを見破っている。私もそれが時間という否応ないものにあてはめるのは無理だということは嗅ぎつけていて、「1/2だけ進むなんてことができるもんか」ということは知っていたのだが、それでもそのレトリックは私を救ってくれた。
死んだら何もなくなる、そのシンプルさから、私の目をそらしてくれた。今でも私はそのレトリックに時折すがっているのだ。

セネカの「人生の短さについて」は、限りある人生を世俗を離れ隠遁し正しい生き方をすることによって永遠に変えることができる、と説いている。求めているのは永遠に終わらない生であることが中国の老荘思想などに比してもそのあがきたるやなんとも幼稚に思われる。そこで私は思い出す、父の教えてくれた、1/2のレトリックを。
「まず半分にするんだ、そして半分だけ進むんだ、そしてまた半分にする。ずうっと半分にできるんだから、何もなくなったりはしないんだよ。」
私の背骨は父を通ってはるかはるか紀元前にまでさかのぼり、ずっととけることのない謎を受け継いでいる。

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関連タグ : セネカ, 人生, 哲学,

オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメ対象:生あるもの
オススメポイント:僕は、僕は、僕は生きたい!

自殺について 他四篇自殺について 他四篇
ショウペンハウエル Arthur Schopenhauer 斎藤 信治

岩波書店 1979-01
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ショーペンハウアーは、熱い。
厭世主義だとか、冷徹だとか、私は一度もそんなふうに感じたことがない。
ゲーテに認められた程の文学的才に語られる哲学は鋭く真理を突く、だけでなくロマンティックだ。
哲学書についての感想、は難しい。私もこのうすっぺらい、主著「意志と表象としての世界」の補遺だけでも理解し切れていない部分が多くある。のみならず、哲学書について語ることは小説のように一冊の本の中に封じ込められたひとつの世界について語ればいいというものではなく、その本の外側にある全世界について語らなければならなくなる、ということが言えるだろう。にわかじこみの用語やこなれていない引用でなしに、自分なりにそれを言うことが、もっとできるようになればと切望しているのだがなかなか叶わない。

けれど彼の哲学の根底をなしているもの、それは我々現代人がいまだ抱いているちぎれるほどの思いだと言い切れる。
我々はなぜ死なねばならぬのか、なぜ我々が死んでも世界は続いていくのか。
私たちの解放された自我。解放されてはならなかった自我。それはもはや至上の位置を確立してしまっているのに、なぜその消滅がありうるのか。

「我々の真実の本質は死によって破壊せられえないものであるという教説によせて」の8.余興としての小対話篇は彼の論理をわかりやすく説明している。
トラシュマコス:「僕は、僕は、僕は生きたいのだ!これこそは僕の切なる願望だ。理屈で以って漸くそれは僕のものだという風に納得させられねばならぬような現存在などは、僕にはどうでもいいのだ」」
フィルラートス:「だがねえ、ようく考えて見給えよ!「僕は、僕は、僕は生きたい」と君は叫ぶけれど、そんな風に叫んでいるのはなにも君だけではないのだ。むしろすべてのものが、意識のほんのかすかな影だけでももちあわしているものであれば文字通りにすべてのものが、そう叫んでいるのだ」

ショーペンハウアーのロマンチックな発熱は、そこから”私”を”我々”に雪崩れ込ませるところだ。すなわち、生を得てやがて死んでいく”我々”は単に間接的にだけ個体であるにすぎず、つまり死すらかりそめのもの、”我々”は「生きたい」という意志のもとひとつであり、生きたいという盲目の意志として”我々”は永遠に存在し続けるのだ、と断言しきる情熱なのだ。


生きたい、私は生きたい。私も、そう叫んでいる。

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オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメ対象:年を取るごとにみずみずしくなる人へ
オススメポイント:頭などくだらないわ、心に比べれば。

ダロウェイ夫人ダロウェイ夫人
ヴァージニア ウルフ Virginia Woolf 富田 彬

角川書店 2003-04
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クラリッサ。それは初めて読んだ17の年から、美しいひとの名前だ。
いつ読んでも、時の流れに色褪せぬ瑞々しさに目を瞠る。
昔の恋人ピーター・ウォルシュが突然訪ねてきて、あてつけ半分に自分は今ある女に恋をしている、と告げた再会のシーン。
クラリッサは彼の偽悪的な口調を観察しながら、相手の女のことを悪い女だと想像しながら、彼が未だに若いときのナイフをいじる癖を持っているのに苛立ちながら、「でも、このひとは恋をしている」「このひとは恋をしている」と繰り返し繰り返し感じる。あの永遠の若さのあえぎ、柔らかな風にほんのすこしずつ乳房を摘み取られていくよな狂おしさ。

舞台はロンドン、ビッグ・ベンの聞こえる範囲。時代は第一次大戦終結直後。登場する人々は、幼馴染のヒュー、昔憧れた女友達サリー・シートン、夫リチャード、娘エリザベス、自殺してしまうセプティマスと気の毒な妻ルチア、そしてもちろん植民地インドから帰って来たピーター・ウォルシュ。有力な人々、無力な人々。ペンは風のように鐘の音のようにロンドンの町を飛び響き、人々の感じるままを言葉に変えていく。この小説の主人公は流れゆき二度と返ることのない時間かもしれない。その時間の中で、人はなんて、様々に物思うのだろう。
ピーター・ウォルシュはクラリッサは老けたな、と思う。ピーター・ウォルシュはクラリッサは俗物だ、と思う。ピーター・ウォルシュはクラリッサは薄情だ、と思う。会いたくないと思う。二度と会うまいと思う。会いたいと思う。会いたい、会いたい。

目を見張るほど完璧な終盤、こんなに好きなラストシーンは他にない。
ダロウェイ家のパーティーで、ピーターは女主人クラリッサが自分のところに話しに来てくれるのをずっと待っている。昔馴染みサリー・シートンと語らいながら。彼らは、離れ離れでいた日々が自分たちの人生観をどのように揺るがしたかについて話す。
サリー・シートンは言う、感ずることだけが言う価値のあることだと思うようになったと。「利口さは馬鹿げてるわ。人は感じるままを言わなければならないのよ」。
ピーターはサリー・シートンに打ち明ける。自分には、自分の感ずるところがわからないのだと。人生は単純なものとは思えないと。「クラリッサとの関係は単純なものではなかったんです。それは僕の一生を台なしにした。二度と恋はできません」。
それでもピーターはこうも言うのだ。若いときにはあまり興奮しすぎて、ひとを知ることができないけれど、年をとって、成熟すると、観察することができ、理解することができ、しかも感ずる力を失わずにいる、悲しいかな。しかし人はそれを喜ぶべきなのだと。
私はある狂気が自分の身のうちにあることを知って震えてしまう。それはある日ヴァージニア・ウルフを水底へ連れ去った狂気だ。年を増すごとに感じることが増え、人生などこの一瞬一瞬に感じるままでしかないことを刻々と思い知りながら、いつか死んで消滅するしかない私達。美しくて無意味な、いとおしくて役に立たない、私達の人生。それを稀代の鋭敏な感性によって見つめつづけた天才ヴァージニア・ウルフの苦しみはいかばかりだったろう。ほんとうに、どんなに、どんなに、辛かっただろう。

そしてサリーが立ち去った後、あの決定的な瞬間が訪れる。
時間のなかで千々に乱れる特別な誰かへの思いがひとつの閃光となって、いつも賢くあることなどできない愚かな私に落雷する。私は深く頭を垂れてそれを受けるしかない。憎く思い信じきることが出来ず後悔し足摺し忘れようとあがいた、その感じた思いの一つ一つが突如臨界点を超え、その存在に深く雪崩れ込むのだ。美しいから、善良だから、立派だから愛したのではない、ただその深い存在そのものを絶望的に愛してる。

「僕も行きます」とピーターは言ったが、しばらくそのまま腰かけていた。この恐怖はなんだ?この有頂天はなんだ?と彼は心に思った。ただならぬ興奮でおれの全身をみたすものは、何者だ?
クラリッサだ、と彼は言った。
なぜなら、クラリッサがそこにいた。


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