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動物

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オススメ度:☆☆☆★★
オススメポイント:捕鯨反対
月に歌うクジラ月に歌うクジラ
ダイアン アッカーマン Diane Ackerman 葉月 陽子

筑摩書房 1997-07
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ネイチャー・ライターの必要性。自然を観察し、それについて文章で表現することの意義。写真・動画といった映像技術の発展と普及に伴い、書物による自然の表現の需要は減っていることだろう。つまり、百聞は一見にしかず。
しかし、見ているのか、それが問題だ。映像であれば見た気になり、ましてこの眼前でナマに繰り広げられれば見た気になる。それは曲者。

「月に歌うクジラ」は広い知識に裏打ちされた内容の濃いノンフィクションだ。4つの話が含まれており、それぞれ、こうもり・ワニ・クジラ・ペンギンについて体験をベースに詳しく書かれている。こうもりの種類についてやワニが人間の可聴域を下回る低音で唸ることによって身辺の水が噴水状になること、ワニは爬虫類として完璧であること、それはすなわち究極の省エネルギーであること。またこうもりに人々が抱いているイメージが間近で観測するこうもりとかけ離れていること。印象的な知識は数え上げればきりがない。

文章と絵との、言葉と映像との役割の違いを納得させる良質のネイチャーライティング。
絵図や写真は「そこにあるもの」だけを伝達するには文章より一歩長じているだろう。文章は「そこにないもの」を喚起する。それは曖昧でいいかげんで矛盾している。
未知のものを教える手段として正確さを求めるなら断然映像が良いだろう。しかし、未知そのものを伝えることができるのは、文章だろう。憧れ、畏れ、そういった感情が呼び起こし、私たちの心に植えつけるもの。それが人に夢を見せ、旅行に行かせたり勉強させたりするのだ。

タイトルになっているクジラについては、捕鯨の取りやめを求める人々の姿も描かれている。運動家ではないが、クジラを長く観測し研究していくなかで、保護を提唱している人々だ。

捕鯨禁止による軋轢は、日本が抱えるいくつかの外向的ソゴの中でも異彩を放つ。第二次大戦の侵略の責任問題や経済摩擦などとは違い、ひどく抽象的なのだ。
絶滅の危険のある動物は保護すべきだ。あの絵でしかみたことのない、妙ちきりんなドードー鳥をこの目で見れたら、と私も思う。
鯨の絶滅の危険が単純に頭数という数字の上で語られるチャンスは少ない。鯨は広い世界の海を泳ぎ回っているし、数えるのは困難なのだろう。捕鯨反対の人々は少なく、賛成の人々は多く言う。
捕鯨反対の論拠として「知能が高い動物だから」と良く言われるが、捕鯨する人々にとってはお笑い種ということになる。食べ物の知能が高かろうが低かろうが知るか、ということもあるし、人間以外の動物に深く感情移入しないという文化もあるだろう、日本についていえば一匹の虫だろうと30mのクジラだろうと等しく衆生であるという仏教の価値観からすれば、牛を殺してしゃあしゃあとしているくせに何を、と思う。そもそも人の食べ物を見て「野蛮」というヤツ、そっちのほうこそ「野蛮」だろ、と、もうこうなったら子供の喧嘩である。
しかしこの本を読んで、やっとわかったという気もした。文化の違いの物別れから、私なりの接点が見えた気がした。
それはクジラの研究者の人々が観測地に回遊してくる個体を声や姿で識別していることや、クジラが全世界の海を泳ぎまわっていることにある。
殺されたのが「あの人」ではないか、ということなのだ。
ホエールウォッチャーたちは、その巨躯と威容で深い感銘を与えたクジラを擬人化し、いわば自分のペットのように思っているのだ。
犬を食べることを非難する気はないが、飼い犬を食べられたら話しは別だ。ちょっとなでたことがあるだけの犬だとしても、いやな気持ちになる。
絶滅がどうとか、知能がどうとか、まどろっこしいことで幼稚な願望をごまかしているから、ややこしくなる。
「あの人」を殺さないで、といえば、食べないでやっても、いいのに。




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