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小川洋子

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オススメ度:☆☆☆☆★
オススメ対象:数学はニガテというあなたへ。
オススメポイント:江夏豊
ツッコミポイント:博士といっしょに息子の心配をする雷のシーンは心配のための心配と荒唐無稽に感じるありえないほど不出来なシーン。ぜひ改稿を。341が11で割れるのはヒトメ見た瞬間にわかること。
4101215235博士の愛した数式
小川 洋子

新潮社 2005-11-26
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小川洋子を読み終えると、ある種の肉体疲労が残る。
これはなんなのだ、泳ぎ終えたような重たい背中と遠い耳。
この一冊でようやく気付いた。
声を出さずに朗読しているのだということに。
私は本を読む速度は速いほうだし、小川洋子は平明な文章で読やすい作家だ。だから本当に朗読するときのテンポで読んでいるわけではないのだけれど、息遣い、息継ぎ、が、気付くと小川洋子の文章に沿っているのだ。そんな文体を持っている。

さて、私の義理の父が脳腫瘍の手術をしてからもう半年が過ぎようとしている。彼の腫瘍は脳の記憶をつかさどる部分を圧迫し、術前にも私の名前が出てこなかったり、食事をしたことを思い出せなかったりという症状があった。手術をすれば快方に向かうものと思っていたが、腫瘍は取りきれたものの、記憶をはじめ脳の機能は時間が経つにつれ低下、普通の生活を送ることが出来ず、今また病院に入院している。
義父を近くで見守る義母と義妹は、会うたびに
「でも意外とわかってるのよね、このまえからかったらむっとして」
「最近のことは良く思い出せないみたいね」
「普段いない人がいると違うところがあるみたい」
「もともとの性格の部分もある」
と口をついて出てくることといえば、義父の症状・行動への頻繁で活発な考察ばかりだ。
とうに分析などしなくなり確立されていた義父のアイデンティティーの再構成が、病をきっかけに今また行われている。そして再構成すれどもすれども、衰え続けていく義父はその像から逃れ遠ざかっていく。
トイレに行きたい、もう眠りたい、と繰り返し繰り返し大きな声で訴える義父。けれどトイレに行っても排泄はなく、ベッドに入っても眠りは訪れず、歩き回って転倒し、どこにいきたいのかわからず呆然とする。
「だけどお風呂に入れたときひとりにしたら、すごく足腰しっかりと一人で出てきたのよ」
「誰々の話をしたときには筋の通ったことを言ってた」
そういつまでも語り合うひとつの家族を見詰めて、ふとせつない。
これはつまり、領域・境界の問題なのだ。
全て究極の問題というのは、領域と境界の問題だ。
それはこの場合でいえば、どこまでがあの人なのか、どこまでが彼らが愛したあの人なのか、そういうことだ。
それは誰にとっても難しい問題。どこからが育ちで、どこからが遺伝なのか、どこからが自分の意思で、どこからが環境のせいで、どこからが理性で、どこからが欲望で、どこからが心なの?
けれど結局のところ健康な人はあまりにも自分勝手に存在していて、私が愛していようと待っていようと求めていようと、嫌っていようと避けていようと無視していようと、あまりにも自分勝手に確固として存在しているので、境界の問題はなし崩しになる。
流動的なものこそが変わらないものだと信じる私にとって、その人自身とは、その「自分勝手」そのものだ。私はその自分勝手さに挑み、その自分勝手を求め、その自分勝手に殺される。

博士の愛した数式、の博士は事故によりその記憶に障害を抱えている。
ここにはある種の愛が描かれている。しかし、自分を記憶してくれない相手を愛し、愛されることは果たして可能なのだろうか?
愛という問題の対極として登場するのが数式だ。数式は永遠不変の真理として描かれ、記憶によらなくても博士の能力を発揮できる唯一のものだ。その美しさ、優しさにはっとさせられる。
記憶は愛をどれほど支配するのか。その答えはここにはない。

どうかずっと、自分勝手でひどいひとでいて、愛する人たちよ。

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