オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメポイント:カニバリズムとゴシップと人間
漢字の難しさ ☆☆★
表現の難しさ ☆☆★
文体の読みにくさ ☆★★
テーマの重さ ☆☆☆
テーマの難解さ ☆☆☆
所要時間:
2時間
「ひかりごけ」のみのとき、30分
収録作品:
流人島にて
異形の者
海肌の匂い
ひかりごけ
冒頭:
あらすじ:
流人島にて
古くから島流しの地であった八丈島、そしてその先にある八丈小島。かつて感化院の不良少年としてこの地に強制労働させられていた男が、自分を殺した男に復讐する。流人同士の悲しい宿命。
異形の者
ふとしたきっかけで、裕福な寺に生まれながら「誰もが救われる」浄土宗の教えに抱いた若き日の反逆心と青春の苦悩を思い返す。
海肌の匂い
町から漁村に嫁に来た女が不漁続きの殺気立った人々の中で異端として孤立する危うさを垣間見る。
ひかりごけ
1944年北海道の羅臼で起こった人肉事件をモチーフとしたフィクション。
感想:
どれもある特殊で閉鎖された社会を舞台とすることで、「人はいかにして人たりえるか」という人間性の限界を描いている。
武田泰淳の描写は肌に合う。その描写は映像として眺めるのではなく、中で自由に歩くことができ呼吸ができるかのようだ。会話・観念・描写の分量の割合の問題なのかもしれないし、描写がそれぞれ独立し、そのもの・その空間・その景観を小さな世界としてあらわしているからなのかもしれない。
そのため古臭さが全くなく、テーマの重苦しさに比して開放感がある。
問題を提示して結論を押し付けていないところも軽やかだ。
読み手がさまざまに考えを持つことができるので、読んで話題にすると面白いだろう。
「ひかりごけ」は武田泰淳の最も有名な作品である。世間を賑わした実在の事件をモチーフにカニバリズムをテーマとしたフィクション。團伊玖磨によってオペラにもなったし、三國連太郎主演で映画化もされた。
難破した船の乗組員4人にそれぞれ、食われたくない男・食わない男・食ってしまう男・食う男、という役割を与え、極限状態でのドラマを描いている。
ただ一人生き残った「食う男」船長は罪に問われ法廷で裁かれるが、人を食べたことも人に食べられたこともない人間に裁かれること自体が意味がないと感じている。
自らの心情を「ただ我慢している」と言った船長の言葉は法廷では理解されないが、「食わない男」八蔵が最初に死んだ男五助の死体を早く海に流すべきだと主張した際の言葉「待つのはよくねえだ」と通じ、この世の生の過ぎるのをただ耐えるという死生観を表している。
カニバリズムの中でも、変態性欲とサバイバルは全く性質の違うものだと思う。
崩壊していることと、崩壊されてしまうことには、当人にとって大きな違いがあるはずだ。
が、それが同じ言葉に分類されるのは、第三者の好奇心といういわばゴシップの域を脱していないからだろう。
自分が漠然と描いている「人」でなくなる危機というのは誰にも起こりうるが、起こるまではそれを嘲笑っている。浅はかだからだけではない、共感すれば「人」でなくなるからなのだ。私たちは不運にも脱落した者に眉をひそめ、指差し、嘲笑い、ゴシップの山に捨てることで、なんとか化け物にならず人間らしい輪郭を保っていられる。
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表現の難しさ ☆☆★
文体の読みにくさ ☆★★
テーマの重さ ☆☆☆
テーマの難解さ ☆☆☆
所要時間:
2時間
「ひかりごけ」のみのとき、30分
収録作品:
流人島にて
異形の者
海肌の匂い
ひかりごけ
冒頭:
私が羅臼を訪れたのは、散り残ったはまなしの紅い花弁と、つやつやと輝く紅いそのみの一緒にながめられる、九月なかばのことでした。今まで、はまなし(はまなす、と呼ぶのは誤りだそうです)の花も実も見知らなかった私にとり、まことに恵まれた季節でありました。
あらすじ:
流人島にて
古くから島流しの地であった八丈島、そしてその先にある八丈小島。かつて感化院の不良少年としてこの地に強制労働させられていた男が、自分を殺した男に復讐する。流人同士の悲しい宿命。
異形の者
ふとしたきっかけで、裕福な寺に生まれながら「誰もが救われる」浄土宗の教えに抱いた若き日の反逆心と青春の苦悩を思い返す。
海肌の匂い
町から漁村に嫁に来た女が不漁続きの殺気立った人々の中で異端として孤立する危うさを垣間見る。
ひかりごけ
1944年北海道の羅臼で起こった人肉事件をモチーフとしたフィクション。
感想:
どれもある特殊で閉鎖された社会を舞台とすることで、「人はいかにして人たりえるか」という人間性の限界を描いている。
武田泰淳の描写は肌に合う。その描写は映像として眺めるのではなく、中で自由に歩くことができ呼吸ができるかのようだ。会話・観念・描写の分量の割合の問題なのかもしれないし、描写がそれぞれ独立し、そのもの・その空間・その景観を小さな世界としてあらわしているからなのかもしれない。
そのため古臭さが全くなく、テーマの重苦しさに比して開放感がある。
問題を提示して結論を押し付けていないところも軽やかだ。
読み手がさまざまに考えを持つことができるので、読んで話題にすると面白いだろう。
「ひかりごけ」は武田泰淳の最も有名な作品である。世間を賑わした実在の事件をモチーフにカニバリズムをテーマとしたフィクション。團伊玖磨によってオペラにもなったし、三國連太郎主演で映画化もされた。
難破した船の乗組員4人にそれぞれ、食われたくない男・食わない男・食ってしまう男・食う男、という役割を与え、極限状態でのドラマを描いている。
ただ一人生き残った「食う男」船長は罪に問われ法廷で裁かれるが、人を食べたことも人に食べられたこともない人間に裁かれること自体が意味がないと感じている。
自らの心情を「ただ我慢している」と言った船長の言葉は法廷では理解されないが、「食わない男」八蔵が最初に死んだ男五助の死体を早く海に流すべきだと主張した際の言葉「待つのはよくねえだ」と通じ、この世の生の過ぎるのをただ耐えるという死生観を表している。
カニバリズムの中でも、変態性欲とサバイバルは全く性質の違うものだと思う。
崩壊していることと、崩壊されてしまうことには、当人にとって大きな違いがあるはずだ。
が、それが同じ言葉に分類されるのは、第三者の好奇心といういわばゴシップの域を脱していないからだろう。
自分が漠然と描いている「人」でなくなる危機というのは誰にも起こりうるが、起こるまではそれを嘲笑っている。浅はかだからだけではない、共感すれば「人」でなくなるからなのだ。私たちは不運にも脱落した者に眉をひそめ、指差し、嘲笑い、ゴシップの山に捨てることで、なんとか化け物にならず人間らしい輪郭を保っていられる。
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