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社会風刺

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オススメ度:☆☆☆☆☆
怪笑小説 (集英社文庫)
怪笑小説 (集英社文庫)東野 圭吾

おすすめ平均
stars○笑小説3種レビュー
stars練り上げられた充実のエッセイ集。東野氏の「笑い」へのこだわりに注目!
starsユーモアのセンスが光る作品郡
stars東野流「ブラックユーモア」
starsコミカルでシニカル

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冒頭:
その電車の中の光景は、恐ろしいほどにいつもと同じだった。
(鬱積電車)

収録作品:
 鬱積電車
 おっかけバアさん
 一徹おやじ
 逆転同窓会
 超たぬき理論
 無人島大相撲中継
 しかばね台分譲住宅
 あるジーサンに線香を
 動物家族

あらすじ:
鬱積電車
  電車に乗り合わせた人々の胸中に鬱積する本音
おっかけバアさん
  杉サマをおっかけるためならなんでもするお婆さん
一徹おやじ
  息子を飛馬にしたい
逆転同窓会
  教師と生徒が逆転
超たぬき理論
  UFO対UMA
無人島大相撲中継
  全ての取組覚えてます
しかばね台分譲住宅
  バブル崩壊でせっかく買った家が。この死体どうしよう?!
あるジーサンに線香を
  アルジャーノンに花束を(ダニエル・キイ)のパロディ
動物家族
  お母さんはスピッツ、お姉ちゃんは猫、お兄ちゃんはハイエナ、お父さんは狸、僕は・・・

感想:
風刺というよりは、パロディかな。
パロディというからには元ネタがなければならないが、元ネタがあるのは『アルジャーノンに花束を』のパロディである『あるジーサンに線香を』だけである。
とはいえ、風刺というと社会を見通す鋭さ、社会批判、先見性というものが必須で、読者の「気付かなかったけれど言われて見れば確かにそうだ!」という感銘を与えるものになるのだが、それには当たらない気がする。

この東野圭吾の短編集『怪笑小説』は、「読者の誰もが知っているあまりにも有名な社会現象」へのパロディ。

ちょっと変わった小説だ。

内容のバランスが良く完成度が高く、秀逸。
東野圭吾の作品の中でも白眉。
東野圭吾らしいか、というと「意外だった」と思う。

しかし振り返ってみれば、東野圭吾作品には長所・短所という意味では共通項が感じられるのだが、テイストという意味で「らしさ」を感じたのは実はこの作品が初めてである。

東野圭吾は変わった作家だなあとつくづく思う。引き出しの多いヒットメーカーであると同時に、将来まだ発展の余地が感じられて、他の作家とはちょっと違う方法で小説を書いているような印象を受ける。

純文学ではなくても、日本人の作家は「私」というものを介して文章をアウトプットしているように感じるのだが、東野圭吾にはそれが感じられなくて、そこが面白いなぁと思う。
作品自体も、作品史としても。



データ:
10進分類:913.6
メインテーマ:社会風刺
時代背景:現代
漢字の難しさ ☆★★
表現の難しさ ☆★★
文体の読みにくさ ☆★★
テーマの重さ ☆★★
テーマの難解さ ☆★★
所要時間:1時間

怪笑小説 (集英社文庫)怪笑小説 (集英社文庫)
東野 圭吾

毒笑小説 (集英社文庫) 黒笑小説 (集英社文庫 ひ 15-8) あの頃ぼくらはアホでした (集英社文庫) 超・殺人事件―推理作家の苦悩 (新潮文庫) 怪しい人びと (光文社文庫)

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関連タグ : 東野圭吾, 社会風刺, おっかけ, UFO, UMA, パロディ,

オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメ対象:35歳以降
吾輩は猫である (岩波文庫)
吾輩は猫である (岩波文庫)夏目 漱石

おすすめ平均
stars舞台を現代社会に移し替えて想像しながら読んでみたい
stars考えさせられます・・・
stars昔から大好き。
stars名無しのままで・・・
stars面白すぎる

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冒頭:

吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。


あらすじ:
冒頭があまりにも有名で、独り歩きしている感があるが、実は筋らしい筋はない。

夏目漱石自身がモデルの苦沙弥先生のプライベートを飼猫である吾輩が観察・考察し、猫の視点から人間のおかしさを発見する。

現代の日本にも通じる日本へ・近代への批判と共に、漱石の交友関係、家庭環境の明るい側面がユーモラスに語られている。

『吾輩は猫である』の主な出来事
・苦沙弥先生の交遊録
・苦沙弥先生のご家庭
・苦沙弥先生泥棒に入られる
・寒月君の恋愛
・苦沙弥先生 VS 俗物実業家
・苦沙弥先生近所の中学生にまで嫌がらせを受ける
・吾輩人間を観察す

感想:
『吾輩は猫である』を書いた時漱石38歳。
年が近くなってみて、やっと読めるようになった。

漱石の小説の中でも他の作品は比較的若年で読みやすいと思うが、『吾輩は猫である』は筋書きがない分随想の要素が濃く、処女作ということもあって容赦なく知識を詰め込んであり、猫が見た人間たちという愛嬌のある設定にもかかわらず若者にはちょっと読みにくいものとなっている。

改めて読んでみると、漱石の教養の深さに改めて感心すると共に、こんな馬鹿をやっていたのか、とおかしい。
落語が好きで小さんをよく聴きに行っていたという漱石。座談の才があったというが、なるほどだから偏屈なのに人が集まってくるのだろう。
とくにおかしいのは迷亭と寒月が遊びに来た折に「不思議な体験談」を三人が張り合って披露するくだりと、猫のネズミ退治と風呂屋をのぞくところ、そして細君とのやりとりだ。
今回特に細君とのやりとりについて書きたい。

あるとき苦沙弥先生細君の頭に日が当たって光るのを見て脳天に禿があるのに気付き、嫁に来る前から禿ているならだまされたと思って細君を問い詰める。髷(まげ)を結うので隠れるからか細君は別段気にもしておらず最初は相手にしないが、苦沙弥先生はしつこく食い下がる。

「脳天が――ことに若い女の脳天がそんなに禿げちゃ見苦しい。不具だ」
「不具なら、なぜ御貰いになったのです。御自分が好きで貰っておいて不具だなんて……」
「知らなかったからさ。全く今日まで知らなかったんだ。そんなに威張るなら、なぜ嫁に来る時頭を見せなかったんだ」
「馬鹿な事を! どこの国に頭の試験をして及第したら嫁にくるなんて、ものが在るもんですか」



この後、細君の背が低いことに話が移って不穏になる。
これが後を引くのである。
泥棒が入り、身の回りのものと到来物の山芋を盗まれてしまった苦沙弥先生、被害届を出すため盗まれた山芋の値段を細君に聞くが、細君はそんなことは知らんと言う。じゃ、十二円五十銭にしておけ、と記そうとすると多すぎると細君に止められる。中学(今の高校)の月謝が二円だというのだから十二円五十銭は今の十二万五千円くらいにはなるのかもしれない。法外である。

「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんだ」
「何ですって」
「オタンチン・パレオロガスだよ」
「何ですそのオタンチン・パレオロガスって云うのは」
「何でもいい。それからあとは――俺の着物は一向出て来んじゃないか」
「あとは何でも宜うござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かして頂戴」
「意味も何にもあるもんか」
「教えて下すってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私を馬鹿にしていらっしゃるのね。きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」
「愚な事を言わんで、早くあとを云うが好い。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」
「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えて頂戴」
「うるさい女だな、意味も何にも無いと云うに」
「そんなら、品物の方もあとはありません」
「頑愚だな。それでは勝手にするがいい。俺はもう盗難告訴を書いてやらんから」
「私も品数を教えて上げません。告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いていただかないでも困りません」



オタンチン・パレオロガスというのはおたんちん(おたんこなす)をローマ皇帝コンスタンチン・パレオロガスにひっかけているのだが、細君には通じない。口をついて出ただけの下らない駄洒落だから苦沙弥先生は答えたくないのだが細君はそんなことは知らない。
この後弟子の多々良三平がやってきて、苦沙弥先生のいないところで細君と話をする。多々良君にも最近できた禿があるのでまた禿の話がぶり返す。

「禿はみんなバクテリヤですばい」
「わたしのはバクテリヤじゃありません」
「そりゃ奥さん意地張りたい」
「何でもバクテリヤじゃありません。しかし英語で禿の事を何とか云うでしょう」
「禿はボールドとか云います」
「いいえ、それじゃないの、もっと長い名があるでしょう」
「先生に聞いたら、すぐわかりましょう」
「先生はどうしても教えて下さらないから、あなたに聞くんです」
「私はボールドより知りませんが。長かって、どげんですか」
「オタンチン・パレオロガスと云うんです。オタンチンと云うのが禿と云う字で、パレオロガスが頭なんでしょう」



まあ可愛いこと。夫婦仲の良いこと。
後の作品を見ると漱石と妻鏡子は理解しあえず互いに苦しめあったように書かれているが、猫の視点から見れば睦まじい夫婦である。
鏡子は漱石の後の作品と引き比べて『吾輩は猫である』をどう考えていたのだろうか。
私なら少し、心慰められる気がするけれど。

データ:
10進分類:913.6
内容分類:名作
メインテーマ:社会風刺
サブテーマ:交友
サブテーマ:家庭

時代背景:明治時代

漢字の難しさ ☆☆☆
表現の難しさ ☆☆☆
文体の読みにくさ ☆☆★
テーマの重さ ☆☆★
テーマの難解さ ☆☆★
所要時間:12時間

吾輩は猫である (岩波文庫)
吾輩は猫である (岩波文庫)夏目 漱石

おすすめ平均
stars舞台を現代社会に移し替えて想像しながら読んでみたい
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stars昔から大好き。
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関連タグ : 夏目漱石, 社会風刺, ,

オススメ度:☆☆☆☆★
オススメ対象:淑女紳士のみなさま
オススメポイント:脂肪の塊、とは何か
脂肪の塊・テリエ館脂肪の塊・テリエ館
キ・ド・モーパッサン

新潮社 1951-04
売り上げランキング :
おすすめ平均

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脂肪の塊、というこのタイトル、物語中の娼婦のあだ名なのである。
しぼうのかたまり!
売れるんだろうか。他人事ながら心配になる。
ところが読んでみるとこれがかなりの売れっ子なのである。頃は普仏戦争(1870~1871)、所はプロシアに占領されたフランスのある地域、貧困の時には肥満が美しさの条件となるならい、脂肪の塊も男たちの食欲をそそってやまない女なのだ。
その印象は雪に難儀して宿場に到着の遅れた馬車の中で三日分の豊富な弁当の入ったバスケットを膨らんだスカートの足下から取り出す描写によって深く刻み込まれる。

まず小さな瀬戸物皿と薄手の銀のコップと、それから大きな蓋物を取り出した。蓋物の中には、丁寧に包丁を入れた二羽の雛鳥の完全なのがジェリーに包まれていた。そして籠のなかにはまだいろいろとおいしいものが紙にくるんであるのが見られた。パイだの果物だの菓子だの、要するに宿屋の板場の厄介にならないようにと、三日旅に用意された食料であった。四本の酒瓶の細長い首が、食物の包みの間から覗いていた。女は、雛鳥の翼肉のところを一つ撮んで、ノルマンディーで「レジャンス」と呼ぶ小さなパンに添えて、つつましく食べ始めた。

ひもじい様をありったけ書いた後でこんな描写をされてしまうと。私など我ながらよく出来た煮物と頂き物の美味しい林檎で夕食をたっぷり済ませたはずなのに、舌が浮かび上がるほど唾が沸く。
占領された街を逃げ出した裕福な人々の馬車に相乗りし、彼女も別の街を目指している途上なのだが、ここで豊満美があだとなる。途中の宿でプロシア人士官に気に入られてしまったのだ。
彼女は愛国心から断り続けるが、士官は思いを遂げられなければ相客もろとも宿を出立させない、と職権を利用して圧力を掛ける。
良質のエピソードに織り込まれ通奏される相客たちの心理の変化は、実に社会の縮図をあらわしている。社会における"ケガレ"のどうにもならない必然性、ある秩序が保たれるため必要な犠牲、その役割を荷わせるのも荷うのも同じく人間だという矛盾。社会ってこういうものなんだよなあ。

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オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメ対象:愚かな人間の可愛さを知る人に
オススメポイント:「我々は皆ゴーゴリの”外套”から生まれた」とドストエフスキーは言った。
外套・鼻外套・鼻
ゴーゴリ 平井 肇

岩波書店 1965-01
売り上げランキング : 8,307
おすすめ平均

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芥川龍之介の「鼻」と同様、ゴーゴリの「鼻」も滑稽な話だ。
目や唇が恋情の詩に歌われるのと比すと、鼻は顔の部位の中でも独特の記号なのだと思う。額は賢さを、眉は良識を、頬は心を映し、顎はけなげ、耳は慎重さを表している。そして鼻が象徴するのは、プライド・見得・自意識。
それを失ったとき人間はどんなにおかしげなものか。
鼻を、ではない。プライドや見得を支えてくれるものを、だ。
八等官コワリョーフの鼻が彼の顔から取れて独立した人格となる。その様たるやまるで立派な紳士、しかも様子からしてコワリョーフよりも上官の五等官に化けている。
立派な容姿で持参金の多い娘の心を捉えてやろう、またいっぱい遊びもしてやろうともくろんでいたコワリョーフにとって、鼻を失うということは致命的だった。
彼は動転し、街中でやっと鼻を見つける。
自分の鼻に戻ってきてくれるようせがむが、鼻のほうでは「はぁ?」という様子で相手にもしない。「だいたい服装から察するに私達所属部署が違うじゃないですか」と鼻を失ったコワリョーフの窮状に”場違い”とばかりの痛烈な常識でぴしゃり!去ってしまう。
コワリョーフは知り合いの未亡人が自分に復讐するために鼻を取ったと言いがかりをつけたり、新聞社に鼻の行方を尋ねる広告を出そうと躍起になったり。
もうこの男、完全に我を失っている。
さて彼の見当外れな活動は全く実を結ばない。
ところが鼻は思いもかけぬ方面から戻ってきて、また思いもかけぬ拍子抜けで顔に付くのだ。これが愉快なところ。
やれやれ彼はめでたく、ちょっといい気な独身男に逆戻り。

無駄な説明をざっくり省いたゴーゴリのセンスはロシアの伝統的な小話アネクドートに通じている。アネクドートで笑えたためしがないんだけど、ゴーゴリはとんでもなく楽しく、その大胆な省略は想像の余地に満ちている。
床屋のパンの中から出てきた鼻は煮えていないのか?下手人を言い切らないのはなぜなんだ?警官は眼鏡のおかげで見破った?なんで紳士が自分の鼻だと気付いたの?
「見てないと思って、小説なのをいいことに!」と読んで心はしゃぐのだ。
自分の鼻が自分より立派である、話しかけるのに身構えするほど立派である、というのは人間のプライドに対する鋭く深い揶揄。しかし非難や皮肉よりも耳に聞こえるのはどっと沸き起こる笑いだ。
ゴーゴリには貧しき人々、不運な人々への優しさがあると言う。彼の後トルストイやドストエフスキーに続いている腐敗した官僚制度・コネなども描かれている。
しかし私がもっとも強く感じるのは、貧しき者、無力な者たちの最良の友はいつの世も、ユーモアなのだ、ということだ。


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