びぶりおふぃりあ  ブックレビューとオススメの海外ドラマ・映画のあらすじと感想。顔面血管腫(赤アザ)カバーメイク体験談

谷崎潤一郎賞

ここでは、「谷崎潤一郎賞」 に関する記事を紹介しています。
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オススメ度:☆☆☆☆★
オススメ対象:父親。人間関係に疲れた人。田舎暮らししたい人。
オススメポイント:言葉以前、言葉以降

4122034973季節の記憶
保坂 和志

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離婚して緑深い鎌倉に幼い息子と暮らす父の日々。
朝食のスープを毎晩作り、息子の教育にじっくり向き合い、近所の兄妹のところで飯を食い、毎朝鎌倉を散歩する。
時間がゆったりと流れていくなか、モノゴコロつくとつかないとのはざまで今しかないときを暮らす息子の姿から、言葉以前、言葉以降というテーマが織り成される。
息子「クイちゃん」はおそらく作者自身の息子がモデルであろう、かぎりない愛情の視点から描かれている。私が一番好きなのはクイちゃんがケーキを楽しみにするシーンだ。

「それもこういう三角じゃないんだよ。
 丸いケーキなんだよ。まぁるいケーキにイチゴがいっぱいのってるんだよ」
 息子は喜びが高じて目つきが虚ろになっていた。

言葉以前、言葉以降、を区切るのは、クイちゃんが文字というものを知るという出来事だ。
父は息子が文字を覚えるのは遅ければ遅いほど良いと思っている。息子が他の大人が覚えていないふすまの模様を記憶しているのは文字を知らないがゆえであるという。平凡なふすまの模様などは言語の機能である抽象化や象徴化によって切り捨てられてしまうのだという。
だから文字を知らないほうが世界は豊かなのだ、と。
それはどうだかわからない。
言語の世界に踏み入ることで人は種族としての宿題を引き継ぐことができる。そこにはそれなりの豊かさがあるとは思う。
けれどこの小説にはそれとは別なある豊潤があって、確かに子供の頃に網膜に焼きついた色彩や肌に沁みた寒さ暑さを思い起こさせる。
それは息子への愛情やもったりとした長いセンテンスの独特の文体と共に、息子への教育の理想主義や実験性(私自身実験的に育てられたからよくわかるけど)、作者のときに偏屈と思えるような理屈っぷりを包み込んでいる。


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オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメ対象:不思議の国のアリスよりも鏡の国のアリスが好きな人に。自分のスタイルを確立できないことに疲れた人に。
オススメポイント:様式が整っており、謎も楽しめる。
4101001340世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉
村上 春樹

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耐え難いのは、教室で昨日と同じ席に座ること。
自由にどこにでも座っていい、と言われたクラスは選択で生徒は少なく、座席はほとんどが空いていた。
だから私は毎回違う場所違う人の隣に座った。
「君はちょっと変わってるね。ちょっぴりどこかがおかしいかもね」
教師は言った。
昨日と同じことを繰り返すのは耐えがたかった。
反復する日常の枠からいつもはみ出てしまう。
この世界で一番残酷な違いは砂糖と塩とか、天国と地獄とか、そんな違いではなくて、砂糖と電車、戦争とアルマジロ、噴火とほくろ、そんな違い。ドアは開けても開けても前とは違うジャンルの音楽が鳴り響き、どの部屋にもい続けることなんかできないし、何やっても何か違うそのくせ、何かやらないで生きるにはあまりに長すぎる人生、何かやろうとするととたんに短い人生、どきどきがどんどん大きくなっていく。
「それ」は全然見つかんなくて、世界はいつも「もっと何か別のこと」に満ち満ちてて、膨らみ続ける風船が私の居場所をきゅうきゅう圧迫する。

若さが苦しい。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」はそんな若き日の私に安らぎをもたらしてくれた本のひとつだ。私は飽かずこの本を読んだ。最初は父のハードカバーで、やがて自分で買った文庫本で。誰かに貸した文庫が返ってこなければまた新たに書店で求め、繰り返し、繰り返し。
不思議なものだ、昨日の繰り返しは嫌なのに、本は繰り返し読めるなんてね。

同じ安らぎをもたらしてくれる本が、他にもあった。それは数冊の料理の本だった。
素材別の調理法の本、一般的な献立の基礎の本、おもてなし用のご馳走の本、弁当用の本。
にくじゃが・ビシソワーズ・ミートローフ・冷凍庫クッキー・鶏のキジ焼き・チキンライス・ババロア・豆腐の卵とじ、茶巾寿司。
何度も読むうちにその料理のコツや味の特徴がレシピから読み取れるようになった。よく出来たマニュアルがそうであるように、それらの本の簡潔さは雄弁だった。どのスパイスが肉の臭みを抜くのか、どの工程でどの材料がどういったやわらかさに火が通っていなければならないのか、口に入れたときにどのような食感になるのか。わかりやすさのために割愛されているさまざまなことが、繰り返し読むことで行間から、たとえば材料の切り方や鍋に入れる順番から、あぶりだされてくる。読めば読むほど奥が深く意図が細部に宿っている。
私は何度も読み返しては頭の中で献立を組み、全体の手順をシミュレートした。
ちょうど母が家を出て行った頃だったから料理はすぐに役に立ち、受験の準備の合間に私は腕を上げた。
それが嵩じて高校三年の夏には料理の専門学校に資料請求までした。
料理をするのは好きだった。父も弟も友達も私の料理を喜んだ。私も彼らに料理を食べてもらうのが大好きだった。でも私はやはり「その部屋」にもとどまることはできなかった。資料は捨てた。最初から、料理人を目指すつもりなんか、それどころか、目指すつもりになる可能性を信じる気すら、ちっともなかったのかもしれない、とそのことに苛立った。
私には「何かになる」ことはできなくてどうにも自分であることしかできなくて、でも自分が何なのかわからないままどきどきがどんどん大きくなる、世界は膨らみ続けている。

今にして思えば、私はこの本にスタイルを求めていたのだと思う。確立された、秩序を。
料理の本に摂理を求めていたように。
ハードボイルドワンダーランドの主人公の持っている、こまごまとしたコダワリ(実にソファーや車の選び方やサンドイッチの作り方に至るまで)や、世界の終わりに在る秩序が、私にささやかな安らぎをもたらしていたのだ。
受験の準備の合間に埃っぽいヒーターの前にうずくまるようにして本を広げ、時にキッチンに立って料理を作った。そして私自身の問題や出て行った母のことや進学のことがいつも「もっと何か別のこと」に変化し続けて私を圧倒する混沌の嵐のさなかに、他人のスタイルを借りてやっと、息つける場所を確保していたのだ。

若さは、今も苦しい。

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