お知らせ
オススメ度:☆☆☆☆★
オススメ対象:平明な言葉に敬意を払う人に
ある友達が死んでから、もう8年になる。
それは横浜ベイスターズが優勝してからの年月と同じだ。よく覚えている。彼の好きだった阪神が、その翌年に優勝したことも。最後に会ったのが横浜駅の近くで、消防署の隣の公園で消防隊員が訓練をしているのを見ていたことも、春には多摩の中央公園で、キャッチボールをしたことも、私のグローブの革が固まっていて、中指にアザができたことも。
そして最後に電話をしたとき、私がひどい風邪を引いて、寝込んでいたことも。
あの日私は、会社を休んでいた。天王町のYBPで働いていた頃のことだ。喉が痛くて、声がほとんど出ない。普段そんな風邪を引くことは、ないのだけれど。
「金貸してくれん?」
それが彼の用件だった。
理由。郷里の高松に住んでいる昔の恋人が交通事故で意識不明の重態で、見舞いに行きたいから。
「向こう行けばな、親もいてるし、金出してもらえるんだけど、今旅行にいってんのよ」
彼はなしくずしに大学を辞め、働いても、たぶんいなかった。
私とはテレアポのバイトで知り合って、そこでは真面目に働いていたのだけれど、いつごろからか何もかもつまらなくなり、日々旅するような暮らしがしたいと、何かになどなりたくないと、真面目に働く自分も嫌いだと、そのバイトもやめていた。
「いいよ。振り込むよ。いくら?高松まで、5万くらい?」
「いや・・・その倍くらい、欲しいのよね。向こうついてからいろいろあるから」
「ふうん。いいよ。」
「ほんま?!ほんとに?」
やけに嬉しそうな声になった。
「いやぁ、だからキミのこと好きなんよ、いや、金のこととかじゃなしに。ほんと、キミには絶対何か恩を返すよ。」
金のこととかじゃなしに、なんだったのだろうか。そのあと、何度か考えた。思えば私はあのとき、彼の言い訳が嘘だと感じており、それでもいいや、と金を貸すようなところ、そんなところのことなのかもしれない。そんな推察は、彼を見くびっているのだろうか。
電話を切ってから、しばらく、眠った。とにかく朦朧としていて、喉が痛くてたまらなかった。真冬のことで、駅前のATMまで行かなくては、と思いながら、眠っていた。
やがて目覚め、駅に向かう途中、彼から催促の電話が掛かってきて、それが、最後の電話となった。
次にかけた電話は不払いのため繋がらず、掛かってきた電話はバイト仲間からの訃報の電話だった。
だれかのところに、警察から電話が掛かってきたのだそうだ。
携帯電話に載っていた電話番号に。
遺体の身元を調べるために。
女の子を殺して、首を吊って死んだ、男の遺体が誰なのかを。
友達というやつはものすごく近くにいるんだけれど、いざってなるとあまりそばには行けない。ただでさえそうなのに、こんな死に方をしたらなおのことだ。葬式もない。東京で一人暮らしだったから、親の顔も知らない。
しばらく、毎日彼のことを考えた。二年。
調べて親に会いに行き、墓参りをした人たちもいるらしい。
やっぱり金を貸していて、返してもらった人もいるらしい。
けれど私は行かなかった。行く気になれなかった。そこに彼はいないと思った。それにたぶん私は、彼が死んだというよりは、彼が家族に隠された、というふうに思っていたのかもしれない。
死んだひとは、家族のものだから。
何度も何度も彼のことを考え、時々、電話が繋がる幻を見た。
彼のように優しくしてくれた人はそれまでいなかったし、彼のように心からかわいがってくれた他人はいなかったから。
電話が繋がったらきっと私は言う、
「お金ならあるのよ。だいじょうぶ、お金なら、あるの。」
何も心配しなくていい、将来のことも、失った夢も、楽しかった高校時代も。
それでも私はやっぱり彼のことを将来がない、って、わかってたんだよな、と思う。だから付き合おうっていう冗談半分の言葉を、冗談100%にしか、取らなかった。男の人だとは、感じていなかった。
お金の心配などしなくていいと、そういってあげられる世界は、見放された子供達の住む、まぶたのない白昼夢。
『がいこつ』は谷川俊太郎の詩に和田誠が絵をつけた、絵本だ。
男の子が自分の死を夢想する、悲しくも楽しい詩。
死んだらがいこつになって大好きなようこちゃんとずっと遊ぶ、そんな夢だ。
「もうおなかもすかないし
もうしぬのもこわくないから」
久しぶりに、彼のことを考えた。遊びに来てくれたって、いいのに。もう将来の心配もしなくていいし、もう死ぬのも恐くないんだから。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
オススメ対象:平明な言葉に敬意を払う人に
| がいこつ | |
![]() | 谷川 俊太郎 和田 誠 教育画劇 2005-11 売り上げランキング : 87297 おすすめ平均 ![]() もしも 好きな人とブランコAmazonで詳しく見る by G-Tools |
ある友達が死んでから、もう8年になる。
それは横浜ベイスターズが優勝してからの年月と同じだ。よく覚えている。彼の好きだった阪神が、その翌年に優勝したことも。最後に会ったのが横浜駅の近くで、消防署の隣の公園で消防隊員が訓練をしているのを見ていたことも、春には多摩の中央公園で、キャッチボールをしたことも、私のグローブの革が固まっていて、中指にアザができたことも。
そして最後に電話をしたとき、私がひどい風邪を引いて、寝込んでいたことも。
あの日私は、会社を休んでいた。天王町のYBPで働いていた頃のことだ。喉が痛くて、声がほとんど出ない。普段そんな風邪を引くことは、ないのだけれど。
「金貸してくれん?」
それが彼の用件だった。
理由。郷里の高松に住んでいる昔の恋人が交通事故で意識不明の重態で、見舞いに行きたいから。
「向こう行けばな、親もいてるし、金出してもらえるんだけど、今旅行にいってんのよ」
彼はなしくずしに大学を辞め、働いても、たぶんいなかった。
私とはテレアポのバイトで知り合って、そこでは真面目に働いていたのだけれど、いつごろからか何もかもつまらなくなり、日々旅するような暮らしがしたいと、何かになどなりたくないと、真面目に働く自分も嫌いだと、そのバイトもやめていた。
「いいよ。振り込むよ。いくら?高松まで、5万くらい?」
「いや・・・その倍くらい、欲しいのよね。向こうついてからいろいろあるから」
「ふうん。いいよ。」
「ほんま?!ほんとに?」
やけに嬉しそうな声になった。
「いやぁ、だからキミのこと好きなんよ、いや、金のこととかじゃなしに。ほんと、キミには絶対何か恩を返すよ。」
金のこととかじゃなしに、なんだったのだろうか。そのあと、何度か考えた。思えば私はあのとき、彼の言い訳が嘘だと感じており、それでもいいや、と金を貸すようなところ、そんなところのことなのかもしれない。そんな推察は、彼を見くびっているのだろうか。
電話を切ってから、しばらく、眠った。とにかく朦朧としていて、喉が痛くてたまらなかった。真冬のことで、駅前のATMまで行かなくては、と思いながら、眠っていた。
やがて目覚め、駅に向かう途中、彼から催促の電話が掛かってきて、それが、最後の電話となった。
次にかけた電話は不払いのため繋がらず、掛かってきた電話はバイト仲間からの訃報の電話だった。
だれかのところに、警察から電話が掛かってきたのだそうだ。
携帯電話に載っていた電話番号に。
遺体の身元を調べるために。
女の子を殺して、首を吊って死んだ、男の遺体が誰なのかを。
友達というやつはものすごく近くにいるんだけれど、いざってなるとあまりそばには行けない。ただでさえそうなのに、こんな死に方をしたらなおのことだ。葬式もない。東京で一人暮らしだったから、親の顔も知らない。
しばらく、毎日彼のことを考えた。二年。
調べて親に会いに行き、墓参りをした人たちもいるらしい。
やっぱり金を貸していて、返してもらった人もいるらしい。
けれど私は行かなかった。行く気になれなかった。そこに彼はいないと思った。それにたぶん私は、彼が死んだというよりは、彼が家族に隠された、というふうに思っていたのかもしれない。
死んだひとは、家族のものだから。
何度も何度も彼のことを考え、時々、電話が繋がる幻を見た。
彼のように優しくしてくれた人はそれまでいなかったし、彼のように心からかわいがってくれた他人はいなかったから。
電話が繋がったらきっと私は言う、
「お金ならあるのよ。だいじょうぶ、お金なら、あるの。」
何も心配しなくていい、将来のことも、失った夢も、楽しかった高校時代も。
それでも私はやっぱり彼のことを将来がない、って、わかってたんだよな、と思う。だから付き合おうっていう冗談半分の言葉を、冗談100%にしか、取らなかった。男の人だとは、感じていなかった。
お金の心配などしなくていいと、そういってあげられる世界は、見放された子供達の住む、まぶたのない白昼夢。
『がいこつ』は谷川俊太郎の詩に和田誠が絵をつけた、絵本だ。
男の子が自分の死を夢想する、悲しくも楽しい詩。
死んだらがいこつになって大好きなようこちゃんとずっと遊ぶ、そんな夢だ。
「もうおなかもすかないし
もうしぬのもこわくないから」
久しぶりに、彼のことを考えた。遊びに来てくれたって、いいのに。もう将来の心配もしなくていいし、もう死ぬのも恐くないんだから。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
| 谷川俊太郎詩選集 1 | |
![]() | 谷川 俊太郎 集英社 2005-06-17 売り上げランキング : 64597 おすすめ平均 ![]() 気持ちいい言葉のかたまり 若い頃の谷川俊太郎の言葉があふれていますAmazonで詳しく見る by G-Tools |
| 谷川俊太郎詩選集 (2) | |
![]() | 谷川 俊太郎 集英社 2005-07-20 売り上げランキング : 77084 おすすめ平均 ![]() やっぱりいい 70〜80年代の谷川俊太郎Amazonで詳しく見る by G-Tools |
| 谷川俊太郎詩選集 3 | |
![]() | 谷川 俊太郎 集英社 2005-08-19 売り上げランキング : 80246 おすすめ平均 ![]() ぜひ書簡インタビューを読んでみてくださいAmazonで詳しく見る by G-Tools |
オススメ度:☆☆☆☆★
オススメポイント:若さの一瞬のきらめき
オススメ対象:青春を与えられた人に。
夏の日の夕暮れ空。青い空気。涼しい風。刷毛で引かれたグレーの雲。縁の赤く燃える紫の雲。手の届くようなピンクの雲。投げかけられた光の筋。使われることなく返って来る夏の一日。
フィッツジェラルドの作品の中でもいっとう有名だと思われるこの「グレート・ギャツビー」。私にとって夏の日の夕暮れ空のようだ。
それは一瞬激しい美しさで私の心を捉えるがその正体を明かすことのないまますぐに夜に抱きしめられてしまう。
初めてこの本を読んだときには私は若くて、大学生だった。
そしてギャツビーになんかちっとも共感できなかった。
なぜこの男はデイジーなんていうくだらない女に一生を捧げ、自分でない者になろうとしているのか。ばかげた話に思えた。
自分でない者、それは良い家柄に生まれ、ハーヴァード大学で完璧な教養を身に付け、事業で成功し、NYの広大な邸宅で盛大なパーティーを開いて人々に囲まれている男。
自分の出生や経歴を隠すなんて、若き日の私にとって恥の極致だった。プライドのかけらもない。女のためとはいえ、結局ギャツビーもデイジーも同じあなのむじなが追いかけあっているだけの下らない話だと思った。
でも先日この本を読みかえして、こんなに清涼な物語であったのか、とびっくりし、反省させられた。
これは若さについての物語である。第一次大戦中、士官としてデイジーに出会ったギャツビーだけでなく、誰のものでもなかったお嬢さん時代のデイジーだけでなく、再会の時ですら彼らは若い。
ギャツビー。女神デイジーが象徴する富という価値観に身を投じ、夢のような成功をおさめたのに、過ぎ去った年月に阻まれてその思いを果たせない。
今、彼の成功をかっこいいと思う。嘘つきと呼ぶ気にはなれない。それは私の胸を掴み震わせる。成功でも購うことのできない失われた若さ。その意味を私も知ったのかもしれない。
そしてあと5年経った私は、この小説をどう思うだろうか。
きっとなんとも思わないんじゃないかな。
そんな気がしてならないのだ。
夏の日の夕暮れ空のように、呼び声に目をそらした一瞬後には、もうそこにはいない。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
オススメポイント:若さの一瞬のきらめき
オススメ対象:青春を与えられた人に。
| グレート・ギャツビー | |
![]() | フィツジェラルド 新潮社 1989-05 売り上げランキング : 16084 おすすめ平均 ![]() GreatというIrony ニック・キャラウェイの存在感 心にしみわわたる作品Amazonで詳しく見る by G-Tools |
夏の日の夕暮れ空。青い空気。涼しい風。刷毛で引かれたグレーの雲。縁の赤く燃える紫の雲。手の届くようなピンクの雲。投げかけられた光の筋。使われることなく返って来る夏の一日。
フィッツジェラルドの作品の中でもいっとう有名だと思われるこの「グレート・ギャツビー」。私にとって夏の日の夕暮れ空のようだ。
それは一瞬激しい美しさで私の心を捉えるがその正体を明かすことのないまますぐに夜に抱きしめられてしまう。
初めてこの本を読んだときには私は若くて、大学生だった。
そしてギャツビーになんかちっとも共感できなかった。
なぜこの男はデイジーなんていうくだらない女に一生を捧げ、自分でない者になろうとしているのか。ばかげた話に思えた。
自分でない者、それは良い家柄に生まれ、ハーヴァード大学で完璧な教養を身に付け、事業で成功し、NYの広大な邸宅で盛大なパーティーを開いて人々に囲まれている男。
自分の出生や経歴を隠すなんて、若き日の私にとって恥の極致だった。プライドのかけらもない。女のためとはいえ、結局ギャツビーもデイジーも同じあなのむじなが追いかけあっているだけの下らない話だと思った。
でも先日この本を読みかえして、こんなに清涼な物語であったのか、とびっくりし、反省させられた。
これは若さについての物語である。第一次大戦中、士官としてデイジーに出会ったギャツビーだけでなく、誰のものでもなかったお嬢さん時代のデイジーだけでなく、再会の時ですら彼らは若い。
ギャツビー。女神デイジーが象徴する富という価値観に身を投じ、夢のような成功をおさめたのに、過ぎ去った年月に阻まれてその思いを果たせない。
今、彼の成功をかっこいいと思う。嘘つきと呼ぶ気にはなれない。それは私の胸を掴み震わせる。成功でも購うことのできない失われた若さ。その意味を私も知ったのかもしれない。
そしてあと5年経った私は、この小説をどう思うだろうか。
きっとなんとも思わないんじゃないかな。
そんな気がしてならないのだ。
夏の日の夕暮れ空のように、呼び声に目をそらした一瞬後には、もうそこにはいない。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメポイント:ゴシックホラー
「白痴」の七割は恋物語。残りはホラーだ。
と自信満々で言い切っておきながらなんだが、私はいつだってドストエフスキーが意図したのとは全く別のことにこころ魅了され深く感銘を受けているのだからあまりあてにしてはいけない。
「白痴」というほとんど文学の世界でしか使われず、差別的な意味からかIMEの変換候補にも出てこない言葉をタイトルに冠すると、自然どうにも難しい内容の、日常からかけ離れた世界が書かれた小説という気がするが、そんなことはちっともないのだ。
原題はバカという意味だそうだから、そのまま「バカ」というタイトルに訳せばもっと爆発的に売れるだろう。(「ドストエフスキーで何か読んで来い」と宿題を出された高校生はこぞってAmazonの検索一覧からこの本を選ぶことだろう。)でもそのタイトルにしても思っていた内容とちがったという苦情が噴出するに違いない。
この物語において白痴とは主人公ムイシュキン公爵だが、彼は馬鹿ではないからだ。
彼はまれに見る子供っぽく世間知らずで善良な男だ。重いてんかんを抱えていたために生い立ちに暗い時期があるが、彼を知るものは誰でも、彼を好きにならないわけにいかない。
しきりと繰り返される子供というモチーフは、子供に対してだけでなく、さまざまな人々に対してしつこく使われる。誰もが子供なのだ。そしてその繰り返しの中で子供っぽさは人間のある美点として確立されていく。誰もが笑い馬鹿にしながら愛してきた、いわば語るに足ると思われていなかったそんなものをまごうかたなき美点として捉えることは、あまりに独特で風変わりなので、そんなやり方でしか形にすることができない。
ドラマの見事さと深い人間洞察のために、恋物語としてホラーとしての展開に固唾を飲むのだけれど、美・純潔といった古いテーマを扱いながら語られたことのない新しいものを短絡的な形容などに飽き足らずドラマの中での繰り返しという形式を駆使して具現化していく試みは交響曲の構造に似ていて、終わったあとに余韻を残す。
子供と呼ばれた人々の末路は伝説めいているが決して華々しくも輝かしくもなく、かかっているのは祝福ではなく呪いだ。
ドストエフスキーの純潔と善良と精神の危うさはとても近いところにある。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
オススメポイント:ゴシックホラー
| 白痴 (上巻) | |
![]() | ドストエフスキー おすすめ平均 ![]() ドラマティックな内的悲劇 初ドストエフスキーでREVIEWを書くのもおこがましいのですが、、、 胸に迫る。 ふたつの問題提起 ドストエフスキーは好きですAmazonで詳しく見る by G-Tools |
「白痴」の七割は恋物語。残りはホラーだ。
と自信満々で言い切っておきながらなんだが、私はいつだってドストエフスキーが意図したのとは全く別のことにこころ魅了され深く感銘を受けているのだからあまりあてにしてはいけない。
「白痴」というほとんど文学の世界でしか使われず、差別的な意味からかIMEの変換候補にも出てこない言葉をタイトルに冠すると、自然どうにも難しい内容の、日常からかけ離れた世界が書かれた小説という気がするが、そんなことはちっともないのだ。
原題はバカという意味だそうだから、そのまま「バカ」というタイトルに訳せばもっと爆発的に売れるだろう。(「ドストエフスキーで何か読んで来い」と宿題を出された高校生はこぞってAmazonの検索一覧からこの本を選ぶことだろう。)でもそのタイトルにしても思っていた内容とちがったという苦情が噴出するに違いない。
この物語において白痴とは主人公ムイシュキン公爵だが、彼は馬鹿ではないからだ。
彼はまれに見る子供っぽく世間知らずで善良な男だ。重いてんかんを抱えていたために生い立ちに暗い時期があるが、彼を知るものは誰でも、彼を好きにならないわけにいかない。
しきりと繰り返される子供というモチーフは、子供に対してだけでなく、さまざまな人々に対してしつこく使われる。誰もが子供なのだ。そしてその繰り返しの中で子供っぽさは人間のある美点として確立されていく。誰もが笑い馬鹿にしながら愛してきた、いわば語るに足ると思われていなかったそんなものをまごうかたなき美点として捉えることは、あまりに独特で風変わりなので、そんなやり方でしか形にすることができない。
ドラマの見事さと深い人間洞察のために、恋物語としてホラーとしての展開に固唾を飲むのだけれど、美・純潔といった古いテーマを扱いながら語られたことのない新しいものを短絡的な形容などに飽き足らずドラマの中での繰り返しという形式を駆使して具現化していく試みは交響曲の構造に似ていて、終わったあとに余韻を残す。
子供と呼ばれた人々の末路は伝説めいているが決して華々しくも輝かしくもなく、かかっているのは祝福ではなく呪いだ。
ドストエフスキーの純潔と善良と精神の危うさはとても近いところにある。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
| 白痴 (下巻) | |
![]() | ドストエフスキー おすすめ平均 ![]() 突き抜けた天邪鬼 いやいいですよ 文豪は「美しい人」を造形したのではない 「愛する」という生き方Amazonで詳しく見る by G-Tools |
オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメポイント:ほしめぐりのうた
子供の頃、合唱団に入っていた。
公民館を借りて、若い指揮者の先生が友達のピアノ弾きと組んで、毎週教えに来ていた。私は歌うのが楽しく、友達と遊ぶのも愉快で、よく通っていたと思う。
後に考えれば先生の選曲が素晴らかった。この年になってもふと口ずさんでいる。
らいちょうの歌、いっしゅうかんの歌、どれも日本語の親しみやすい詩にメロディーをつけたのびやかな曲だ。
あるとき、先生のともだちが映画の音楽をやるから、と言って、みんなの合唱をスタジオで録音したことがある。
「ほしめぐりのうた」
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あおいめだまの こいぬ、
ひかりのへびの とぐろ
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを をとす
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ
小熊のひたひの うへは
そらのめぐりの めあて
音楽を愛した宮沢賢治作詞作曲のこのうたは、とても良い曲で、夜の散歩で星空を見上げながら、歩くはやさで歌うとこころが銀河に広がっていくようだ。
その映画はアニメの「銀河鉄道の夜」だった。
封切されてから合唱団のメンバーと見に行き、擬人化されたネコのジョバンニやカンパネルラのセル画をもらった。
「銀河鉄道の夜」は宮沢賢治の数多くある代表作のひとつで、短い話だ。
ジョバンニはまだ子供だが、学校に行きながら仕事もしている。細かい活字を拾う、植字の仕事だ。船に乗り組んでいる父の帰りを待ちながら、病気の母の看病をする心細いくらし。学校では最近いじめられはじめたし、親友カムパネルラとも疎遠になってきてしまった。
そんなある「ケンタウル祭」の晩、ジョバンニは銀河を旅する列車、銀河鉄道に乗り久しぶりに親友カムパネルラとともに過ごす。窓の外に広がる幻想的な風景を共に眺め、乗客たちと出会いながら。悲しいような不思議なような美しい結末は忘れがたい。
宮沢賢治の銀河の描写は常に具体的でおどろきの連続。なのにそこは私たちの住まう地上とは明らかに異なっていて、私はそこでは生きることはできないとはっきりわかるのだ。宮沢賢治は宇宙についてずっと身近な想像を続けていた人なのだ。
「銀河鉄道の夜」で繰り返される問は、「本当の幸(さいわい)とは何か」ということだ。
ジョバンニもカムパネルラも、他の乗り合い客も皆、ほかのだれかのためになにかしたいと切望している。しかし彼らには何が本当の幸福なのかがわからないのだ。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙が浮かんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
救済を信じながら、本当の幸福を「わからない」と言った、宮沢賢治。
かささぎが舞い、交響曲が鳴り渡り、岸辺にぴかぴかと青い炎のともる銀河。床に落ちる前に灰色に蒸発してしまうかぐわしいりんご。金剛石や花火のきらめき。いきいきした宮沢賢治の宇宙に思いをはせながら、その謎を解こう。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
オススメポイント:ほしめぐりのうた
![]() | 新編銀河鉄道の夜 宮沢 賢治 新潮社 1989-06 売り上げランキング : 17566 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
子供の頃、合唱団に入っていた。
公民館を借りて、若い指揮者の先生が友達のピアノ弾きと組んで、毎週教えに来ていた。私は歌うのが楽しく、友達と遊ぶのも愉快で、よく通っていたと思う。
後に考えれば先生の選曲が素晴らかった。この年になってもふと口ずさんでいる。
らいちょうの歌、いっしゅうかんの歌、どれも日本語の親しみやすい詩にメロディーをつけたのびやかな曲だ。
あるとき、先生のともだちが映画の音楽をやるから、と言って、みんなの合唱をスタジオで録音したことがある。
「ほしめぐりのうた」
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あおいめだまの こいぬ、
ひかりのへびの とぐろ
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを をとす
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ
小熊のひたひの うへは
そらのめぐりの めあて
音楽を愛した宮沢賢治作詞作曲のこのうたは、とても良い曲で、夜の散歩で星空を見上げながら、歩くはやさで歌うとこころが銀河に広がっていくようだ。
その映画はアニメの「銀河鉄道の夜」だった。
封切されてから合唱団のメンバーと見に行き、擬人化されたネコのジョバンニやカンパネルラのセル画をもらった。
「銀河鉄道の夜」は宮沢賢治の数多くある代表作のひとつで、短い話だ。
ジョバンニはまだ子供だが、学校に行きながら仕事もしている。細かい活字を拾う、植字の仕事だ。船に乗り組んでいる父の帰りを待ちながら、病気の母の看病をする心細いくらし。学校では最近いじめられはじめたし、親友カムパネルラとも疎遠になってきてしまった。
そんなある「ケンタウル祭」の晩、ジョバンニは銀河を旅する列車、銀河鉄道に乗り久しぶりに親友カムパネルラとともに過ごす。窓の外に広がる幻想的な風景を共に眺め、乗客たちと出会いながら。悲しいような不思議なような美しい結末は忘れがたい。
宮沢賢治の銀河の描写は常に具体的でおどろきの連続。なのにそこは私たちの住まう地上とは明らかに異なっていて、私はそこでは生きることはできないとはっきりわかるのだ。宮沢賢治は宇宙についてずっと身近な想像を続けていた人なのだ。
「銀河鉄道の夜」で繰り返される問は、「本当の幸(さいわい)とは何か」ということだ。
ジョバンニもカムパネルラも、他の乗り合い客も皆、ほかのだれかのためになにかしたいと切望している。しかし彼らには何が本当の幸福なのかがわからないのだ。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙が浮かんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
救済を信じながら、本当の幸福を「わからない」と言った、宮沢賢治。
かささぎが舞い、交響曲が鳴り渡り、岸辺にぴかぴかと青い炎のともる銀河。床に落ちる前に灰色に蒸発してしまうかぐわしいりんご。金剛石や花火のきらめき。いきいきした宮沢賢治の宇宙に思いをはせながら、その謎を解こう。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
| 銀河鉄道の夜 | |
![]() | 宮澤賢治 田中真弓 坂本千夏 おすすめ平均 ![]() “ここよりはじまる”? 文句なし! 何度観ても… 懐かしい 何度見ても感動する傑作Amazonで詳しく見る by G-Tools |
オススメ度:☆☆☆☆★
オススメ対象:おとなもこどもも
オススメポイント:こころがはだかんぼ
歯医者の待合室にあるもの。
長くてやわらかいソファー。ガラスの花瓶にささった高級造花の束。ポップアートの大きなシルクスクリーン。帽子をかぶったおじさん。大きな鏡。陶器の洗面台。天井まで首がとどいている、きりんのぬいぐるみ。泣いている子供。傘立て。本棚。
本棚には最新のファッションや車やインテリアの雑誌と、ほんの少しのベストセラーのエッセイ(「生協の白石さん」、とか。)、それから子供向けの本がある。子供向けの本はどれもぼろぼろだ。それは昔からずっとそこにあり、いろんな子供の手を経て、角がへしゃげたり、ページがほどけたり、してきた。どの子供もきっと虫歯があった。
私はいつもほんの少しの待ち時間の間に、子供向けの本を少しずつ読む。そこには私が子供の頃に読んだ本は一冊もないが、でも私が図書館で夢中になって読んだ本もこれらにとてもよく似ていた。児童文学の名作と呼ばれるものは、たとえ一般に有名でなくともいつまでたっても心に残り、記憶の中に残り続けている。けれど子供心を満たしてくれたのはそういう良質の文学ばかりではなく、漫画を文章にしただけのような浮ついた内容の少女小説だったり、いいかげんなお化けの話しだったりもした。
歯医者にあるのはたいていはそういった類の本ばかりだ。なるにあも、ゲド戦記も、二年間の休暇も、ぷー横丁に建った家も、不思議の国のアリスも、砂の城も、ない。おうさまシリーズも、アンデルセンも、オスカー・ワイルドも、モモちゃんとあかねちゃんも、ない。
可愛くてドジな女の子がアイドルになる話とか、クラスメイト何人かで悪いやつをつかまえる話とか、そういう本だ。タイトルもびっくりするほどストレートだったりして、歯の治療を思って憂鬱に沈んでいた気持ちがはっとする。「天才は監督になれない」とか、「初七日に来たおかあさん」とか。
「だれかを好きになった日に読む本」もまた、そのように私の目に留まったのだった。
読書家だったらわかってもらえると思うのだけれど、初めて見る本というのは手にとってぱらりと開いた瞬間にその中に封じられた世界の手触りや大きさが薫ってくるものだ。たぶん一瞬にして読み取ったその見開きの言葉全てから導き出される経験的勘だと思うのだけれど。ああ、これは専門用語を羅列してるけどゴシップスクラップ的な盗作まがいの本だな、とか、愛愛愛、ってだけ書いてれば恋愛小説だと思ってるのかしら、とか。
お、と思った。
「だれかを好きになった日に読む本」を開いたときの薫り。これは思っていたものとは違う、なんというか、ちゃんとしたものだ。
ぱらぱらとめくってみる。短編集のようだ。何人かの著者によるアンソロジー?あ、松谷みよ子?ほんとにちゃんとした本だなこれ。
この辺からちゃんと読む気になって背筋を正す。
そして冒頭を開く。
谷川俊太郎の「たかしくん」という詩からこの本は始まる。
たかしくん
谷川俊太郎
わたしは たかしくんが すき
たかしくんは かおが いい
めが おおきくて
ほっぺたが やさしい
わたしは ゆめを みました
たかしくんと ふたりっきりで
あふりかへ いったゆめ
ぞうが がおうと ほえました
わたしは たかしくんが すき
でも どうすればいいのか わからない
てがみを かきたくても
まだ じが みっつしか かけないの
こころが震えた。そしてまた私は泣いてしまう。歯医者の待合室のソファー。
谷川俊太郎の詩はいつも、いっけん隙だらけのようでいて隙がない。
字がみっつしか書けない子供のつむいだ思いにしては大人びているとか、突然あふりかってなんだ?とか、そんなこんなでからかったりつっこんだり、できそうな気がするのだけれど。そこをあしがかりにこじつけて、話しを広げてみたりできそうに思うのだけれど。でも、できない。
「そういうことじゃないんだよな、そうだ、ないんだよ」と得心してしまうのだ。するすると心が服を脱いでしまうのだ。
好きなのに、たかしくんが好きなのに、どうすればいいのかわからない。何千の文字を知った後にも、3オクターブの声を手に入れた後にも、外国語の読み書きを覚えた後でも。胸の奥、爆発、せきあがる、人を恋うるまぶしい歓び、この優しい痛み。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
オススメ対象:おとなもこどもも
オススメポイント:こころがはだかんぼ
![]() | いちねんせい 谷川 俊太郎 和田 誠 小学館 1987-12 売り上げランキング : 44,643 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
歯医者の待合室にあるもの。
長くてやわらかいソファー。ガラスの花瓶にささった高級造花の束。ポップアートの大きなシルクスクリーン。帽子をかぶったおじさん。大きな鏡。陶器の洗面台。天井まで首がとどいている、きりんのぬいぐるみ。泣いている子供。傘立て。本棚。
本棚には最新のファッションや車やインテリアの雑誌と、ほんの少しのベストセラーのエッセイ(「生協の白石さん」、とか。)、それから子供向けの本がある。子供向けの本はどれもぼろぼろだ。それは昔からずっとそこにあり、いろんな子供の手を経て、角がへしゃげたり、ページがほどけたり、してきた。どの子供もきっと虫歯があった。
私はいつもほんの少しの待ち時間の間に、子供向けの本を少しずつ読む。そこには私が子供の頃に読んだ本は一冊もないが、でも私が図書館で夢中になって読んだ本もこれらにとてもよく似ていた。児童文学の名作と呼ばれるものは、たとえ一般に有名でなくともいつまでたっても心に残り、記憶の中に残り続けている。けれど子供心を満たしてくれたのはそういう良質の文学ばかりではなく、漫画を文章にしただけのような浮ついた内容の少女小説だったり、いいかげんなお化けの話しだったりもした。
歯医者にあるのはたいていはそういった類の本ばかりだ。なるにあも、ゲド戦記も、二年間の休暇も、ぷー横丁に建った家も、不思議の国のアリスも、砂の城も、ない。おうさまシリーズも、アンデルセンも、オスカー・ワイルドも、モモちゃんとあかねちゃんも、ない。
可愛くてドジな女の子がアイドルになる話とか、クラスメイト何人かで悪いやつをつかまえる話とか、そういう本だ。タイトルもびっくりするほどストレートだったりして、歯の治療を思って憂鬱に沈んでいた気持ちがはっとする。「天才は監督になれない」とか、「初七日に来たおかあさん」とか。
「だれかを好きになった日に読む本」もまた、そのように私の目に留まったのだった。
読書家だったらわかってもらえると思うのだけれど、初めて見る本というのは手にとってぱらりと開いた瞬間にその中に封じられた世界の手触りや大きさが薫ってくるものだ。たぶん一瞬にして読み取ったその見開きの言葉全てから導き出される経験的勘だと思うのだけれど。ああ、これは専門用語を羅列してるけどゴシップスクラップ的な盗作まがいの本だな、とか、愛愛愛、ってだけ書いてれば恋愛小説だと思ってるのかしら、とか。
お、と思った。
「だれかを好きになった日に読む本」を開いたときの薫り。これは思っていたものとは違う、なんというか、ちゃんとしたものだ。
ぱらぱらとめくってみる。短編集のようだ。何人かの著者によるアンソロジー?あ、松谷みよ子?ほんとにちゃんとした本だなこれ。
この辺からちゃんと読む気になって背筋を正す。
そして冒頭を開く。
谷川俊太郎の「たかしくん」という詩からこの本は始まる。
たかしくん
谷川俊太郎
わたしは たかしくんが すき
たかしくんは かおが いい
めが おおきくて
ほっぺたが やさしい
わたしは ゆめを みました
たかしくんと ふたりっきりで
あふりかへ いったゆめ
ぞうが がおうと ほえました
わたしは たかしくんが すき
でも どうすればいいのか わからない
てがみを かきたくても
まだ じが みっつしか かけないの
こころが震えた。そしてまた私は泣いてしまう。歯医者の待合室のソファー。
谷川俊太郎の詩はいつも、いっけん隙だらけのようでいて隙がない。
字がみっつしか書けない子供のつむいだ思いにしては大人びているとか、突然あふりかってなんだ?とか、そんなこんなでからかったりつっこんだり、できそうな気がするのだけれど。そこをあしがかりにこじつけて、話しを広げてみたりできそうに思うのだけれど。でも、できない。
「そういうことじゃないんだよな、そうだ、ないんだよ」と得心してしまうのだ。するすると心が服を脱いでしまうのだ。
好きなのに、たかしくんが好きなのに、どうすればいいのかわからない。何千の文字を知った後にも、3オクターブの声を手に入れた後にも、外国語の読み書きを覚えた後でも。胸の奥、爆発、せきあがる、人を恋うるまぶしい歓び、この優しい痛み。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
![]() | だれかを好きになった日に読む本 現代児童文学研究会 偕成社 1990-06 売り上げランキング : 338,994 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメ対象:初めてドストエフスキーを読む人に
オススメポイント:ヘンリー・ミラーは「永遠の夫」が最高の小説だ、と言った。
頭のおかしくない人間って、いるのだろうか。
私が知り合った人は例外なくみんなどこかに問題をかかえていて、完全に正常な人なんかひとりもいなかった。「まともなひと」として頭に浮かぶのは「親しくなかったひと」の姿ばかりだ。
人間なんて誰だって、深く知れば知るほどみんなキチガイなのだ。
私はそんな風に思っている。
もちろん、誰よりも近く親しい自分自身は異常の最たるものであることは言うまでもない。
永遠の夫のトルソーツキイには「罪と罰」のズヴィドリガイロフと共通する部分がある。主人公へ接近してくる不気味な執着、若く美しい娘に対するむき出しの好色さ。これが読者にもむっと匂うほどにあつかましいのだ。
この距離感は、先に書いた深く知れば知るほどみんなキチガイという感覚に通じると私は思っている。ページを開くと、登場人物はすべての手続きを飛び越え瞬時に「深く知れば知るほど」に知ってしまった近しい人々のように心にどかどかとあがりこんでくる、現実の人間だって心や精神を病んでいない限りもうすこし取り澄まして”夢を見させて”くれるものだ。ドストエフスキーは、すごい。
首都ペテルブルクにある男がいる。名前はヴェリチャーニノフ。男は体調を崩しめんどうな訴訟に巻き込まれて気難しくなってはいるが、上流階級の人間で、その気になれば教養や社交センスを発揮することのできる魅力的な男だ。
そこに突然数年の空白を経て再会するのがトルソーツキイ。彼は執拗にヴェリチャーニノフに付きまとう。ヴェリチャーニノフは嫌悪を覚えながらも振り払いきることができない。なぜなら彼には後ろ暗い記憶があった。彼はかつてトルソーツキイ一家と近しく交際していた頃に、トルソーツキイの亡き妻と姦通していたのだ。
この小説の好ましいところは、「ある女を挟んだ二人の男の物語」ではなく、「二人の男の物語」であることだ。亡き妻・昔の愛人は強い影響力を持たず、主張しない。そこが真実味があると思うのだ。特に近年好まれるテーマとして、死んだ誰かの存在がある仲間達や人物の中で存在感を発揮し続け、その不在をめぐって不毛な物語が進行する、というものがあるけれど、私はそんなのはうそっぱちだと思う。趣味の悪いネクロフィリアを美辞麗句で飾っただけだ。
この二人の男は互いを信じられず、嫌悪し憎み、それでも互いの間のある種の愛に戸惑う。トルソーツキイの「永遠の夫」でいるしかない愚昧な無能さ、それは無邪気で素直に人を信じる純粋さでもある。
トルソーツキイが我が娘だと思い込んでいた少女が実はヴェリチャーニノフと妻との不義の子だったと知っていることを悟ったときのヴェリチャーニノフの想像の濃やかさ、優しさはそれを語っている。
『
やっぱり、死人のように青くなったんだろうな、きっと。”と、ふと、鏡に映った自分の顔を見て考えた。”きっと読んでから、目を閉じ、そして、あるいはこの手紙がただの白紙に変わってくれるのではないかと期待して、突然、また目を開いたに違いない……。きっと、三度くらいは、そんな試みを繰り返したのではないか……”
』
ここで全てが身近になる。物語の中にぽんと引き込まれ、狂人だと思っていたトルソーツキイの隣に突然座っている。
そして最後のページを閉じる頃、トルソーツキイは再び赤の他人のような顔をして汽車に飛び乗ってヴェリチャーニノフと別れる。けれど私はいつも心に呟く。「さようなら、愛すべきひと」
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆


オススメ対象:初めてドストエフスキーを読む人に
オススメポイント:ヘンリー・ミラーは「永遠の夫」が最高の小説だ、と言った。
![]() | 永遠の夫 ドストエフスキー 千種 堅 新潮社 1979-06 売り上げランキング : 73,062 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
頭のおかしくない人間って、いるのだろうか。
私が知り合った人は例外なくみんなどこかに問題をかかえていて、完全に正常な人なんかひとりもいなかった。「まともなひと」として頭に浮かぶのは「親しくなかったひと」の姿ばかりだ。
人間なんて誰だって、深く知れば知るほどみんなキチガイなのだ。
私はそんな風に思っている。
もちろん、誰よりも近く親しい自分自身は異常の最たるものであることは言うまでもない。
永遠の夫のトルソーツキイには「罪と罰」のズヴィドリガイロフと共通する部分がある。主人公へ接近してくる不気味な執着、若く美しい娘に対するむき出しの好色さ。これが読者にもむっと匂うほどにあつかましいのだ。
この距離感は、先に書いた深く知れば知るほどみんなキチガイという感覚に通じると私は思っている。ページを開くと、登場人物はすべての手続きを飛び越え瞬時に「深く知れば知るほど」に知ってしまった近しい人々のように心にどかどかとあがりこんでくる、現実の人間だって心や精神を病んでいない限りもうすこし取り澄まして”夢を見させて”くれるものだ。ドストエフスキーは、すごい。
首都ペテルブルクにある男がいる。名前はヴェリチャーニノフ。男は体調を崩しめんどうな訴訟に巻き込まれて気難しくなってはいるが、上流階級の人間で、その気になれば教養や社交センスを発揮することのできる魅力的な男だ。
そこに突然数年の空白を経て再会するのがトルソーツキイ。彼は執拗にヴェリチャーニノフに付きまとう。ヴェリチャーニノフは嫌悪を覚えながらも振り払いきることができない。なぜなら彼には後ろ暗い記憶があった。彼はかつてトルソーツキイ一家と近しく交際していた頃に、トルソーツキイの亡き妻と姦通していたのだ。
この小説の好ましいところは、「ある女を挟んだ二人の男の物語」ではなく、「二人の男の物語」であることだ。亡き妻・昔の愛人は強い影響力を持たず、主張しない。そこが真実味があると思うのだ。特に近年好まれるテーマとして、死んだ誰かの存在がある仲間達や人物の中で存在感を発揮し続け、その不在をめぐって不毛な物語が進行する、というものがあるけれど、私はそんなのはうそっぱちだと思う。趣味の悪いネクロフィリアを美辞麗句で飾っただけだ。
この二人の男は互いを信じられず、嫌悪し憎み、それでも互いの間のある種の愛に戸惑う。トルソーツキイの「永遠の夫」でいるしかない愚昧な無能さ、それは無邪気で素直に人を信じる純粋さでもある。
トルソーツキイが我が娘だと思い込んでいた少女が実はヴェリチャーニノフと妻との不義の子だったと知っていることを悟ったときのヴェリチャーニノフの想像の濃やかさ、優しさはそれを語っている。
『
やっぱり、死人のように青くなったんだろうな、きっと。”と、ふと、鏡に映った自分の顔を見て考えた。”きっと読んでから、目を閉じ、そして、あるいはこの手紙がただの白紙に変わってくれるのではないかと期待して、突然、また目を開いたに違いない……。きっと、三度くらいは、そんな試みを繰り返したのではないか……”
』
ここで全てが身近になる。物語の中にぽんと引き込まれ、狂人だと思っていたトルソーツキイの隣に突然座っている。
そして最後のページを閉じる頃、トルソーツキイは再び赤の他人のような顔をして汽車に飛び乗ってヴェリチャーニノフと別れる。けれど私はいつも心に呟く。「さようなら、愛すべきひと」
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
オススメ度:☆☆☆☆★
オススメ対象:旧共産圏の生活のイメージが浮かばない人。
オススメポイント:時代に翻弄されて。
ロシア語会議通訳のかたわらエッセイスト・コメンテイターとしても活躍する米原万里は、1960年〜64年プラハで少女時代を過ごした。プラハの春以前のチェコスロバキア。
共産主義。その思想および19世紀〜20世紀に及ぶ大きな運動は、今の資本主義先進国では”お笑い草”という扱いしかされていない。
でも私は非常にこの時代この運動に興味を持っている。思想的にというのでは全くないのだが、(数多い革命を含め)共産主義運動ほど「人間はこんなにも時代に翻弄される」ということを教えてくれるムーブメントは他にないと思うのだ。
しかし東側の情報は堅苦しいドキュメンタリーや大筋で歴史をなぞらえるだけだったりと、人間を感じさせる材料が非常に少ない。旧政権に迫害されていた人のインタビューや今の就職難についてのレポートは重要だとは思うけれど、生活の中にあったはずの笑い・喜びを知らないと、苦しみに奥行きが出ず、理解や共感ができない。
「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は文章も明晰で視点の距離とピントが心地よく、良いエッセイの備えるべき美点を総ざらえしているが、その上やはり内容が良い。同級生三人の鮮やかな思い出と、大人になって探し出した彼女達の現在。ましてや出会いはプラハのソヴィエト学校、少女達の国籍はギリシャ・ルーマニア・ユーゴスラビア。再会までの歳月激動に揺れた国々である。
やはりどこの国であっても同じように少女時代があるのだと思わせてくれる、貴重な一冊。人形劇と美しい町並みと弾圧されたプラハの春のイメージしかなかったチェコに、人の声やほこりっぽい雑踏が見えてくる。
ベルリンの壁の崩壊が感動的だったのは、それが共産主義の敗北と資本主義の勝利を意味したからではない。あのとき崩れたのが共産主義ではなく”壁”だったからだ。壊れた壁の向こうに、おたがいに、ただの人間がいたからだ。それを忘れたくない。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆


オススメ対象:旧共産圏の生活のイメージが浮かばない人。
オススメポイント:時代に翻弄されて。
![]() | 嘘つきアーニャの真っ赤な真実 米原 万里 角川書店 2004-06 売り上げランキング : 7,507 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ロシア語会議通訳のかたわらエッセイスト・コメンテイターとしても活躍する米原万里は、1960年〜64年プラハで少女時代を過ごした。プラハの春以前のチェコスロバキア。
共産主義。その思想および19世紀〜20世紀に及ぶ大きな運動は、今の資本主義先進国では”お笑い草”という扱いしかされていない。
でも私は非常にこの時代この運動に興味を持っている。思想的にというのでは全くないのだが、(数多い革命を含め)共産主義運動ほど「人間はこんなにも時代に翻弄される」ということを教えてくれるムーブメントは他にないと思うのだ。
しかし東側の情報は堅苦しいドキュメンタリーや大筋で歴史をなぞらえるだけだったりと、人間を感じさせる材料が非常に少ない。旧政権に迫害されていた人のインタビューや今の就職難についてのレポートは重要だとは思うけれど、生活の中にあったはずの笑い・喜びを知らないと、苦しみに奥行きが出ず、理解や共感ができない。
「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は文章も明晰で視点の距離とピントが心地よく、良いエッセイの備えるべき美点を総ざらえしているが、その上やはり内容が良い。同級生三人の鮮やかな思い出と、大人になって探し出した彼女達の現在。ましてや出会いはプラハのソヴィエト学校、少女達の国籍はギリシャ・ルーマニア・ユーゴスラビア。再会までの歳月激動に揺れた国々である。
やはりどこの国であっても同じように少女時代があるのだと思わせてくれる、貴重な一冊。人形劇と美しい町並みと弾圧されたプラハの春のイメージしかなかったチェコに、人の声やほこりっぽい雑踏が見えてくる。
ベルリンの壁の崩壊が感動的だったのは、それが共産主義の敗北と資本主義の勝利を意味したからではない。あのとき崩れたのが共産主義ではなく”壁”だったからだ。壊れた壁の向こうに、おたがいに、ただの人間がいたからだ。それを忘れたくない。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメ対象:誰にでも自信をもってオススメ☆☆☆☆☆
オススメポイント:ロシア最大・不世出の天才。トルストイのように説教をしない。多くの作家の憧れの人。高いエンタメ性と文学性。
「罪と罰」この小説のテーマは題名通り。
深遠なテーマだ。でも深遠なテーマなんてすなわちありふれたテーマだ。誰の発明でもない。羅列する気にもならない。小学生だって語れる。
ドストエフスキーの天才はけれどなんといってもその「あまりに人間が描かれている」ことにあるだろう。
殺人を犯したラスコーリニコフが物語の中盤、最愛の母と自慢の妹を目の前にして悟る場面。「またしても彼は恐ろしいほどはっきりとさとったのだ、いま彼がおそろしい嘘を言ったことを、そしてもういまとなってはゆっくり話をする機会などは永久に来ないばかりか、もうこれ以上どんなことも、誰ともぜったいに語り合うことができないということを」という箇所を読んだとき、私はランチを食べに入ったレストランのテーブルで思わず小さく声をあげ、文庫本を強く握った。
「人を殺してはかわいそう」「神はすべて見ている」「捕まって死刑になっちゃうよ」「誰も知らなくても良心がとがめて苦しむ」・・・
人間の真実は犬だって知ってるそんなルールにあるのではなく、まして実際の犯罪者が何を感じ何を考えるかにあるわけでもない。それはどんなに立派でも、またどんなにショッキングでも、所詮は表面的なことだ。
ダケド、イッタイ、ナゼ?
罪を犯したがゆえにもう二度と誰ともこのやわらかさを分かち合えないこと。
ナゼコノコトガコンナニモ確実ニ私ノ胸ヲ衝クノ?
ラスコーリニコフに対しても殺人の動機についても私は同情も共感も一切ない。彼はおおよそ読者に愛情を抱かせるタイプの人物ではない。単なる傲慢で怠惰な青二才。(「この人物を読者にこう思わせてやろう」という意図が全く匂わないのもドストエフスキーの才能のひとつだ。)
にもかかわらずラスコーリニコフの、その焼かれるような孤独。それは、背もたれに寄りかかり食後のコーヒーを待ちながらページをめくる私に見事な一撃を喰らわす。
なぜならそれは、「ズウット私ガ恐レテイタコト」だからだ。
つまり、真実とは、私達が心の底で、その奥深くで、ずっと恐れていることそのもの、救いも解決もなく恐れ続けていることそのものなのではないか。
そして真実は物語の枠を超え、ラスコーリニコフを超える。
私は泣いてしまう。号泣してしまうのだ。昼間のレストランで。ラスコーリニコフのためでなく、夫のために、家族のために、友のために、私のために。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆


オススメ対象:誰にでも自信をもってオススメ☆☆☆☆☆
オススメポイント:ロシア最大・不世出の天才。トルストイのように説教をしない。多くの作家の憧れの人。高いエンタメ性と文学性。
![]() | 罪と罰 (上巻) ドストエフスキー 新潮社 1987-06 売り上げランキング : 21,032 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
![]() | 罪と罰 (下巻) ドストエフスキー 新潮社 1987-06 売り上げランキング : 19,593 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「罪と罰」この小説のテーマは題名通り。
深遠なテーマだ。でも深遠なテーマなんてすなわちありふれたテーマだ。誰の発明でもない。羅列する気にもならない。小学生だって語れる。
ドストエフスキーの天才はけれどなんといってもその「あまりに人間が描かれている」ことにあるだろう。
殺人を犯したラスコーリニコフが物語の中盤、最愛の母と自慢の妹を目の前にして悟る場面。「またしても彼は恐ろしいほどはっきりとさとったのだ、いま彼がおそろしい嘘を言ったことを、そしてもういまとなってはゆっくり話をする機会などは永久に来ないばかりか、もうこれ以上どんなことも、誰ともぜったいに語り合うことができないということを」という箇所を読んだとき、私はランチを食べに入ったレストランのテーブルで思わず小さく声をあげ、文庫本を強く握った。
「人を殺してはかわいそう」「神はすべて見ている」「捕まって死刑になっちゃうよ」「誰も知らなくても良心がとがめて苦しむ」・・・
人間の真実は犬だって知ってるそんなルールにあるのではなく、まして実際の犯罪者が何を感じ何を考えるかにあるわけでもない。それはどんなに立派でも、またどんなにショッキングでも、所詮は表面的なことだ。
ダケド、イッタイ、ナゼ?
罪を犯したがゆえにもう二度と誰ともこのやわらかさを分かち合えないこと。
ナゼコノコトガコンナニモ確実ニ私ノ胸ヲ衝クノ?
ラスコーリニコフに対しても殺人の動機についても私は同情も共感も一切ない。彼はおおよそ読者に愛情を抱かせるタイプの人物ではない。単なる傲慢で怠惰な青二才。(「この人物を読者にこう思わせてやろう」という意図が全く匂わないのもドストエフスキーの才能のひとつだ。)
にもかかわらずラスコーリニコフの、その焼かれるような孤独。それは、背もたれに寄りかかり食後のコーヒーを待ちながらページをめくる私に見事な一撃を喰らわす。
なぜならそれは、「ズウット私ガ恐レテイタコト」だからだ。
つまり、真実とは、私達が心の底で、その奥深くで、ずっと恐れていることそのもの、救いも解決もなく恐れ続けていることそのものなのではないか。
そして真実は物語の枠を超え、ラスコーリニコフを超える。
私は泣いてしまう。号泣してしまうのだ。昼間のレストランで。ラスコーリニコフのためでなく、夫のために、家族のために、友のために、私のために。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
オススメ度:☆☆☆☆★
オススメ対象:父へ。これから父となる人へ
オススメポイント:父が子を生むこともある
人はどの瞬間に「親」となるのか。
母親は身ごもったと知った瞬間から母となるとよく言われる。
父親はどうなのだろう。私の父いわく、二人目の子(私の弟)のときはもう子供が生まれるということも育てるということもわかっていたので妊娠を告げられた瞬間から自覚があったけれど、ひとり目の子(私)のときは生まれて二,三ヶ月経ってからふいに、「自分はこの子の父親なんだ」と感じた、という。
女という性が私の自我に及ぼしている力はあまりにも大きいため、自分が男だったら、と想像するのはとてもむずかしい。けれど、父親になる、というのはなんだか奇妙なことなんだろうな、というのは理解できる。
さて、障害のある子が生まれたら、という不安は親になる人々のたいていが味わうものだろう。
そしてときにそれは不安にとどまらず現実となる。
大江健三郎氏の子息光氏は脳に障害を持って生まれた。
この物語はその体験をベースに書かれている。
子供が生まれるというのに自覚のない若い父親、彼にもたらされた最初の知らせは息子に深刻な障害がある、とのことだった。
彼は女に逃げ、生まれたばかりの息子の死を望み、自由であり続けることを願う、しかしその苦しみの果てに、障害のある子供を息子として受け入れ、父親である自分を見出す。
卑怯な自分、男らしくない自分、父としてふさわしくない自分。そんな姿を赤裸々につづった、大江作品の中でも感動的な一作。
子供に障害があったがゆえに、大江氏は男でありながら生みの苦しみを味わい、息子を産んだのだ。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆


オススメ対象:父へ。これから父となる人へ
オススメポイント:父が子を生むこともある
![]() | 個人的な体験 大江 健三郎 新潮社 1981-02 売り上げランキング : 47,793 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
人はどの瞬間に「親」となるのか。
母親は身ごもったと知った瞬間から母となるとよく言われる。
父親はどうなのだろう。私の父いわく、二人目の子(私の弟)のときはもう子供が生まれるということも育てるということもわかっていたので妊娠を告げられた瞬間から自覚があったけれど、ひとり目の子(私)のときは生まれて二,三ヶ月経ってからふいに、「自分はこの子の父親なんだ」と感じた、という。
女という性が私の自我に及ぼしている力はあまりにも大きいため、自分が男だったら、と想像するのはとてもむずかしい。けれど、父親になる、というのはなんだか奇妙なことなんだろうな、というのは理解できる。
さて、障害のある子が生まれたら、という不安は親になる人々のたいていが味わうものだろう。
そしてときにそれは不安にとどまらず現実となる。
大江健三郎氏の子息光氏は脳に障害を持って生まれた。
この物語はその体験をベースに書かれている。
子供が生まれるというのに自覚のない若い父親、彼にもたらされた最初の知らせは息子に深刻な障害がある、とのことだった。
彼は女に逃げ、生まれたばかりの息子の死を望み、自由であり続けることを願う、しかしその苦しみの果てに、障害のある子供を息子として受け入れ、父親である自分を見出す。
卑怯な自分、男らしくない自分、父としてふさわしくない自分。そんな姿を赤裸々につづった、大江作品の中でも感動的な一作。
子供に障害があったがゆえに、大江氏は男でありながら生みの苦しみを味わい、息子を産んだのだ。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆


もしも
好きな人とブランコ


















