お知らせ
オススメ度:☆☆☆☆★
オススメ対象:心理描写に食傷した人に
純文学、と呼ばれるものに欠かせないと思っていたもの、心理描写や情緒の表現。その退屈を打ち破ったのが「百年の孤独」だった。
情緒と情熱は違うものだと教えてくれたのも。
渇いた情熱、怒涛のように押し寄せる出来事。それはドラマティックというのとも違う。ドラマにはその場がある律のもとに支配されているという前提があり、登場人物達は視点は違ってもひとつのドラマを目撃することになる。そして、「百年の孤独」の登場人物たちブエンディア一族の者たちは、互いのドラマに基本的にかかわりを持たないのだ。それが彼らの「孤独」だ。その孤独すら、私が想像する孤独とは違っている。私が想像する、一人きりの暮らし、愛されることも、愛することもない日常、そんなものとは。
ねちっこい心理描写がないために、登場人物への共感もまた、ない。その軽さを物語としてかろうじてつなぎとめるのは、ブエンディア一族の世代の中で繰り返される似たようなエピソード、似たような気質だ。
誰かに伝えるにはパラパラしすぎていて、思い返すにはクルクルしすぎていて、それなのに、読み返してみると、隠蔽された大虐殺や、あるとき風が吹いて突如土埃と瓦礫の廃墟となってしまう町の物語に自分がどれだけ影響を受けたか思い知らされた。それはその後私が繰り返し書こうとしたモチーフだった。そして再現したかったのは、大虐殺や廃墟ではなく、それらの出現の仕方のあっさりとあざやかな衝撃に他ならない。
オススメ対象:心理描写に食傷した人に
| 百年の孤独 | |
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純文学、と呼ばれるものに欠かせないと思っていたもの、心理描写や情緒の表現。その退屈を打ち破ったのが「百年の孤独」だった。
情緒と情熱は違うものだと教えてくれたのも。
渇いた情熱、怒涛のように押し寄せる出来事。それはドラマティックというのとも違う。ドラマにはその場がある律のもとに支配されているという前提があり、登場人物達は視点は違ってもひとつのドラマを目撃することになる。そして、「百年の孤独」の登場人物たちブエンディア一族の者たちは、互いのドラマに基本的にかかわりを持たないのだ。それが彼らの「孤独」だ。その孤独すら、私が想像する孤独とは違っている。私が想像する、一人きりの暮らし、愛されることも、愛することもない日常、そんなものとは。
ねちっこい心理描写がないために、登場人物への共感もまた、ない。その軽さを物語としてかろうじてつなぎとめるのは、ブエンディア一族の世代の中で繰り返される似たようなエピソード、似たような気質だ。
誰かに伝えるにはパラパラしすぎていて、思い返すにはクルクルしすぎていて、それなのに、読み返してみると、隠蔽された大虐殺や、あるとき風が吹いて突如土埃と瓦礫の廃墟となってしまう町の物語に自分がどれだけ影響を受けたか思い知らされた。それはその後私が繰り返し書こうとしたモチーフだった。そして再現したかったのは、大虐殺や廃墟ではなく、それらの出現の仕方のあっさりとあざやかな衝撃に他ならない。
オススメ度:☆☆☆★★
「それから、王子の愛のことだが、あのひとがお前のことを誰よりも愛して、父親のことも母親のことも忘れてしまうほどお前を愛して、明けても暮れてもお前のことだけを愛して、もうお前と神の前で永遠に結ばれるしかない、というところまで愛さなければ、お前は人間の持っている魂というやつを手に入れることはできないよ。それがもしちがって、王子が他の女と結婚するようなことになったら、いいか、そのあくる朝、お前の心臓ははりさけ、お前は海の泡となってしまうんだよ」
「かまわないわ」
人魚姫は言いました。その顔は、死人のように青ざめていました。
男のことを思うとき、この魔女の言葉を思い出す。
あのひとが父親のことも母親のことも忘れてしまうほど、・・・。
たとえ結婚したといったって、男は父親のことも母親のことも忘れていない。
けれど女は青ざめて、自分の持っている一番美しいものをその愛を獲得するために差し出すのだ。
王子は人魚姫ではなく隣の国の王女と結婚してしまうけれど、それだって何も、父母祖国を捨て無我夢中というほどのことではない。ちょっとした人違いや若者らしい情熱はあっても、ふさわしい相手とふさわしくめぐり合い、皆に祝福されて結婚するのだ。
とても賢明なのだ。
それがどうだろう、モンタギュー家のロミオときたら。
さっきまで他の女の尻を追い掛け回していたというのに、あっというまに今度は仇敵キャピュレット家のジュリエットに懸想してキスを奪い、その足で忍んで行くのがあのバルコニーのシーンである。
「ロミオ、ロミオ、なぜあなたはロミオなの?お父様と縁を切って、その名を捨てて。」
当の相手が潜んでいるとも知らず一人嘆くジュリエットの前に、ロミオはのこのこと出て行ってあっさり言う。
「捨てます」
馬鹿息子である。
私はちょっと、笑ってしまう。
そしてその後で、くるおしい熱に胸を掴まれる。
ジュリエットはちょっとした行き違いからロミオと死んでしまうけれど、この二人からはびっくりするほど幸せな光があって、それはきっと先ほどの、おろかしいまでに無防備な、「私はあなたを愛しているからあなたは私を愛しているから私はあなたを愛しているからあなたは私を」と、もう溶けて渾然一体になってしまう迷いなき情熱である。ロミオが魅惑的に見えるのはジュリエットが彼に夢中だから。ジュリエットが美しく見えるのはロミオが彼女を愛しているから。そうでなければただの親不孝な頭の悪いガキである。
人魚姫は身を引いて海の泡となり、神に救済される。そんな風になりたいとはとうてい思えぬ。彼女の不幸からは女というふくよかさをすべて漉し取られている。
王子は彼女に指一本触れず、ただ妹のように可愛がり、彼女の思いにまったく気付かない。
彼女は眷属を捨て自慢の美声や足の痛みと引換えにしても欲しいと願ったはずの男を、殺めることも誘惑することもできない。
これが人間の女だったら、なんとしてもこの男と寝るだろう。その前にまず、寝てもいない男のために、ここまでしないだろう。関係を持っていたとして、隣の国の姫は殺すだろう。それでも自分のものにできないとき、この男を殺すだろう。自分を引き裂いたこの恋を、素手でわしづかみにするだろう。
まあ、そこまででなくとも、である。何もかもを捨てたという片道切符の情熱の、不自然なまでの未遂は、永遠に処女である人魚の堅さ、かりそめの脚を手に入れても暗示として残されている「美しいけれど交わることのできない娘」だからこそ物語になるのである。
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「それから、王子の愛のことだが、あのひとがお前のことを誰よりも愛して、父親のことも母親のことも忘れてしまうほどお前を愛して、明けても暮れてもお前のことだけを愛して、もうお前と神の前で永遠に結ばれるしかない、というところまで愛さなければ、お前は人間の持っている魂というやつを手に入れることはできないよ。それがもしちがって、王子が他の女と結婚するようなことになったら、いいか、そのあくる朝、お前の心臓ははりさけ、お前は海の泡となってしまうんだよ」
「かまわないわ」
人魚姫は言いました。その顔は、死人のように青ざめていました。
男のことを思うとき、この魔女の言葉を思い出す。
あのひとが父親のことも母親のことも忘れてしまうほど、・・・。
たとえ結婚したといったって、男は父親のことも母親のことも忘れていない。
けれど女は青ざめて、自分の持っている一番美しいものをその愛を獲得するために差し出すのだ。
王子は人魚姫ではなく隣の国の王女と結婚してしまうけれど、それだって何も、父母祖国を捨て無我夢中というほどのことではない。ちょっとした人違いや若者らしい情熱はあっても、ふさわしい相手とふさわしくめぐり合い、皆に祝福されて結婚するのだ。
とても賢明なのだ。
それがどうだろう、モンタギュー家のロミオときたら。
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「ロミオ、ロミオ、なぜあなたはロミオなの?お父様と縁を切って、その名を捨てて。」
当の相手が潜んでいるとも知らず一人嘆くジュリエットの前に、ロミオはのこのこと出て行ってあっさり言う。
「捨てます」
馬鹿息子である。
私はちょっと、笑ってしまう。
そしてその後で、くるおしい熱に胸を掴まれる。
ジュリエットはちょっとした行き違いからロミオと死んでしまうけれど、この二人からはびっくりするほど幸せな光があって、それはきっと先ほどの、おろかしいまでに無防備な、「私はあなたを愛しているからあなたは私を愛しているから私はあなたを愛しているからあなたは私を」と、もう溶けて渾然一体になってしまう迷いなき情熱である。ロミオが魅惑的に見えるのはジュリエットが彼に夢中だから。ジュリエットが美しく見えるのはロミオが彼女を愛しているから。そうでなければただの親不孝な頭の悪いガキである。
人魚姫は身を引いて海の泡となり、神に救済される。そんな風になりたいとはとうてい思えぬ。彼女の不幸からは女というふくよかさをすべて漉し取られている。
王子は彼女に指一本触れず、ただ妹のように可愛がり、彼女の思いにまったく気付かない。
彼女は眷属を捨て自慢の美声や足の痛みと引換えにしても欲しいと願ったはずの男を、殺めることも誘惑することもできない。
これが人間の女だったら、なんとしてもこの男と寝るだろう。その前にまず、寝てもいない男のために、ここまでしないだろう。関係を持っていたとして、隣の国の姫は殺すだろう。それでも自分のものにできないとき、この男を殺すだろう。自分を引き裂いたこの恋を、素手でわしづかみにするだろう。
まあ、そこまででなくとも、である。何もかもを捨てたという片道切符の情熱の、不自然なまでの未遂は、永遠に処女である人魚の堅さ、かりそめの脚を手に入れても暗示として残されている「美しいけれど交わることのできない娘」だからこそ物語になるのである。
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オススメ度:☆☆☆★★
オススメ対象:女性向きかも
『冷血』の話が、唐突に出た。
世田谷である一家が皆殺しにされたとき、状況が似ているとちょっと話題になったことはあったけれど、それ以来である。
「読んだことはあるけど、どうして?」
話を聞いてみると、カポーティの生涯を題材にした映画が最近出たらしい。
「一人の作家が筆を折る、っていうのはどういうことなのかな、と思って。絶筆のきっかけになった作品だっていうから」(※厳密にはカポーティは『冷血』以降も著作がある。)
ときいて、うっかり言いそうになったのだ。
「ああ、それはね・・・」と。
まるで一人の作家の運命を、隣で見てきたかのように。
そしてあわてて続きを言うのをやめた。
「そう、じゃあ、読んだら感想を聞かせて。『冷血』はとても良いノンフィクションだわ」と。
それからその話が彼との間に出ないのだが、読まなかったのか、それともつまらなかったのか。そのことは、きいていない。
しかしそろそろ、私もここで続きを言ってしまって良いと思うのだ。
あのとき言わなかった話を。
『冷血』は非情な殺人事件を5年の歳月を費やし丁寧に取材した、ノンフィクションの名作である。結論を予め出さない、事実に誠実な取材姿勢には感服する。
しかし、『冷血』が作者カポーティを打ちのめしたとするのであれば、まず『冷血』以外の作品を知らなければならないだろう。
たとえば、そう、短編集『夜の樹』を。
好きな作品で言えば『遠い声 遠い部屋』も、『クリスマスの思い出』もあげられるし、一番有名なのはオードリー・ヘップバーン主演で映画になった『ティファニーで朝食を』だろう。
けれどふと彼が「カポーティー」「冷血」「筆を折る」といったとき、浮かんだのは、『夜の樹』に収録された、『夢を売る女』だった。
そう、その中の一節だ、
「あらゆるものごとのなかでいちばん悲しいことは、個人のことなどおかまいなしに世界が動いていることだ。もし誰かが恋人と別れたら、世界は彼のために動くのをやめるべきだ。もし誰かがこの世から消えたら、やはり世界は動くのをやめるべきだ。しかし実際には、決してそんなことは起こらない。多くの人間が朝起きる本当の理由はそこにあった。つまり、ひとは重大な意味があるからそうするのではなく、意味がないからそうするのだ。」
『夜の樹』はすばらしい短編集だ。完璧なストーリーテリングで幻想的な少女に孤独な日常を蝕まれていく中年女性を描いた『ミリアム』、絵に取りつかれた『無頭の鷹』、無垢な『感謝祭のお客』。どれも何度も読むに足る完成度の高い作品である。
しかし、それらはガラスのようにもろい。
『冷血』の世界で肉体はその壊れやすさだけで暴力であり、人々の幻想や感性を冒涜する。
そこではいちばん悲しいことは、悲しいことが起こった翌日に時がとまらないこと、などとというレースの縁飾りのついた少女趣味な感傷などではない。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
オススメ対象:女性向きかも
| 夜の樹 | |
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『冷血』の話が、唐突に出た。
世田谷である一家が皆殺しにされたとき、状況が似ているとちょっと話題になったことはあったけれど、それ以来である。
「読んだことはあるけど、どうして?」
話を聞いてみると、カポーティの生涯を題材にした映画が最近出たらしい。
「一人の作家が筆を折る、っていうのはどういうことなのかな、と思って。絶筆のきっかけになった作品だっていうから」(※厳密にはカポーティは『冷血』以降も著作がある。)
ときいて、うっかり言いそうになったのだ。
「ああ、それはね・・・」と。
まるで一人の作家の運命を、隣で見てきたかのように。
そしてあわてて続きを言うのをやめた。
「そう、じゃあ、読んだら感想を聞かせて。『冷血』はとても良いノンフィクションだわ」と。
それからその話が彼との間に出ないのだが、読まなかったのか、それともつまらなかったのか。そのことは、きいていない。
しかしそろそろ、私もここで続きを言ってしまって良いと思うのだ。
あのとき言わなかった話を。
『冷血』は非情な殺人事件を5年の歳月を費やし丁寧に取材した、ノンフィクションの名作である。結論を予め出さない、事実に誠実な取材姿勢には感服する。
しかし、『冷血』が作者カポーティを打ちのめしたとするのであれば、まず『冷血』以外の作品を知らなければならないだろう。
たとえば、そう、短編集『夜の樹』を。
好きな作品で言えば『遠い声 遠い部屋』も、『クリスマスの思い出』もあげられるし、一番有名なのはオードリー・ヘップバーン主演で映画になった『ティファニーで朝食を』だろう。
けれどふと彼が「カポーティー」「冷血」「筆を折る」といったとき、浮かんだのは、『夜の樹』に収録された、『夢を売る女』だった。
そう、その中の一節だ、
「あらゆるものごとのなかでいちばん悲しいことは、個人のことなどおかまいなしに世界が動いていることだ。もし誰かが恋人と別れたら、世界は彼のために動くのをやめるべきだ。もし誰かがこの世から消えたら、やはり世界は動くのをやめるべきだ。しかし実際には、決してそんなことは起こらない。多くの人間が朝起きる本当の理由はそこにあった。つまり、ひとは重大な意味があるからそうするのではなく、意味がないからそうするのだ。」
『夜の樹』はすばらしい短編集だ。完璧なストーリーテリングで幻想的な少女に孤独な日常を蝕まれていく中年女性を描いた『ミリアム』、絵に取りつかれた『無頭の鷹』、無垢な『感謝祭のお客』。どれも何度も読むに足る完成度の高い作品である。
しかし、それらはガラスのようにもろい。
『冷血』の世界で肉体はその壊れやすさだけで暴力であり、人々の幻想や感性を冒涜する。
そこではいちばん悲しいことは、悲しいことが起こった翌日に時がとまらないこと、などとというレースの縁飾りのついた少女趣味な感傷などではない。
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| 冷血 | |
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オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメポイント:昔の人の袖の香
最初に思いがある。そうなのだ。
まず思いがあり、それが形を求める。
時にそれは日記として、手紙として、エッセイとして、小説として、詩として放たれる。まれに俳句となることも、短歌となることも、ある。
思いには匂い・色彩・感触などの五感に訴える感覚だけでなく、格調・歴史などの文化があり、更には賞味期限・栄養素・副作用など伝達時には食べ物薬剤としての影響度を持っている。
思いは自ずから形式を要求する。
食材が調理法のスタンダードを持っているように、思いにも表現されるべき金の王道がある。
私はそう、感じてる。
たとえばこのブックレビューという形式を私は結構気に入っている。
まず、題材が他にあるのでそれにこと寄せ書き出し易い。そしてそんな気楽な姿勢は時に重苦しい真情を吐露させたりもする。その意外なところ、ゲーム性が面白いのだ。
俳句はどうだろう。
私が自分の俳句で好きなもの
「二の腕を むきてうなぎの 昼休み」
「アイス溶け 手持ち無沙汰な 夏のべろ」
どちらもある一瞬、ある情景を捉えたものだ。
それはこれ以上どこにもいかないようなある刹那のこと、今年も来年も色褪せずそこにある風景のことだ。
では短歌はというと、これはほんとうに恋歌に向いている形式だと思う。
恋人だけでなく、だれかへの何かへの強い思い。
俳句は「五七五」で終わりだが、短歌はそこに「七七」が付く。この「七七」が脚のように羽根のように思いを届けるのだ。
短歌は、誰にでも詠める。
自分の言葉で、この思いを歌ってみたい。
そう思う人にはぜひ、いにしえよりの良き歌を繰り返し読むことをオススメしたい。
本物に触れる。そこには短歌入門の類の書物・講座でとはまた違った、深い勉強がある。
古今和歌集には千首以上の歌が読まれている。恋歌に身を焦がすもよし、季節の歌に陶然とするもよし。幾度となく耳慣れた歌があり、不思議と心になじむ歌もあるだろう。空で覚えて年を取り、年齢ごとに違う味わいを重ねるのも良いだろう。気に入った数首だけでも空で覚えれば、散文とは違った味わいと密度を、実感できるだろう。
時の洗礼を受けた珠玉の古今和歌集は、興奮もののミステリーを100冊手に入れるのとは異次元の、充実した時を授けてくれるだろう。
梅に泣き月に泣き生き残った自分に泣いた在原業平。
あいたいあいたいあいたいと、覚めることを惜しみながらも夢の逢瀬すらいとおしんだ小野小町。
そして桜を詠い月を詠いつれなき恋人を恨み春を惜しんだ、数多くの読み人知らず。
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オススメポイント:昔の人の袖の香
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最初に思いがある。そうなのだ。
まず思いがあり、それが形を求める。
時にそれは日記として、手紙として、エッセイとして、小説として、詩として放たれる。まれに俳句となることも、短歌となることも、ある。
思いには匂い・色彩・感触などの五感に訴える感覚だけでなく、格調・歴史などの文化があり、更には賞味期限・栄養素・副作用など伝達時には食べ物薬剤としての影響度を持っている。
思いは自ずから形式を要求する。
食材が調理法のスタンダードを持っているように、思いにも表現されるべき金の王道がある。
私はそう、感じてる。
たとえばこのブックレビューという形式を私は結構気に入っている。
まず、題材が他にあるのでそれにこと寄せ書き出し易い。そしてそんな気楽な姿勢は時に重苦しい真情を吐露させたりもする。その意外なところ、ゲーム性が面白いのだ。
俳句はどうだろう。
私が自分の俳句で好きなもの
「二の腕を むきてうなぎの 昼休み」
「アイス溶け 手持ち無沙汰な 夏のべろ」
どちらもある一瞬、ある情景を捉えたものだ。
それはこれ以上どこにもいかないようなある刹那のこと、今年も来年も色褪せずそこにある風景のことだ。
では短歌はというと、これはほんとうに恋歌に向いている形式だと思う。
恋人だけでなく、だれかへの何かへの強い思い。
俳句は「五七五」で終わりだが、短歌はそこに「七七」が付く。この「七七」が脚のように羽根のように思いを届けるのだ。
短歌は、誰にでも詠める。
自分の言葉で、この思いを歌ってみたい。
そう思う人にはぜひ、いにしえよりの良き歌を繰り返し読むことをオススメしたい。
本物に触れる。そこには短歌入門の類の書物・講座でとはまた違った、深い勉強がある。
古今和歌集には千首以上の歌が読まれている。恋歌に身を焦がすもよし、季節の歌に陶然とするもよし。幾度となく耳慣れた歌があり、不思議と心になじむ歌もあるだろう。空で覚えて年を取り、年齢ごとに違う味わいを重ねるのも良いだろう。気に入った数首だけでも空で覚えれば、散文とは違った味わいと密度を、実感できるだろう。
時の洗礼を受けた珠玉の古今和歌集は、興奮もののミステリーを100冊手に入れるのとは異次元の、充実した時を授けてくれるだろう。
梅に泣き月に泣き生き残った自分に泣いた在原業平。
あいたいあいたいあいたいと、覚めることを惜しみながらも夢の逢瀬すらいとおしんだ小野小町。
そして桜を詠い月を詠いつれなき恋人を恨み春を惜しんだ、数多くの読み人知らず。
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オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメ対象:大人に。海辺で泣く怪獣に。
ずっとハミングしている男が、職場にいる。
「んーーーーー」、と。
心肺機能が高いのか循環呼吸ができるのか、信じがたいほど長く続くブレスだ。
私は「ホーミー(ただし低音だけなんだけどね)」とか「低周波」とか、呼んでいるのだけれど。
彼の低周波が怪我の回復を早めてくれたりするかどうかはわからないが、隣に座っている人は「耳が痒い」と言っている。耳垢が浮き上がってくると。あの音を聞かせながら雪を結晶させたら展開しないでただの固い雹になるだろうと。
彼がどうにも、チェシャ・ネコに似ているのだ。
顔立ちはいわずもがなだが、いつもニヤニヤしているところもぴったり同じだ。
そして何よりもどこまでも自分のやり方を通すところが、不思議の国の住人なのだ。
けれど実際のところチェシャ・ネコは、その姿や神出鬼没から気付く人が少ないけれど、「不思議の国のアリス」においては唯一の常識人であり、奇想天外で詩的な物語にしっかりと筋が立っているのは彼のおかげなのだ。
そう、アリスはまるでデッサンなしにいきなり描かれた絵のようだ。設計図なしに作られた城だ。計画の痕跡がないのだ。なのに決して崩れない。だから決して崩れない。どこまで分解しても、どこまで細かく刻んでも、ふんだんに空想の世界が盛り込まれていてその独自の世界から水も洩らさない。
子供の時分にはむしろアリスはどことなく不愉快だった。では興味がないのかというとそうではなくて、興味は持ち続けて何度も読んでいるのだけれど、あまりに謎が多すぎ、次から次へと息つく間もなく不思議な出来事が連続していくので、少し頭痛がするような、そんな感じなのだ。
けれどこの本は確かに私の感性にごくわずかではあるが決して除外できない影響を荷っている。あの頭痛、あれはかけがえのないものだったのだ。謎よりも美しいものは、この世にない。
ぜひ押しも押されもせぬこの名作をレビューしたいものだ、と、読み返してみたが、今読んでも相変わらず謎は謎のままであり、美しさは美しさのままだ。そして時々爆笑するほどおかしい箇所があるが、これは大人になればなるほどおかしみを増す類のユーモア。
アリスがお兄さんの文法書で例文にネズミが使われていたがためにネズミに話しかけるときに「おお、ねずみよ!」と芝居がかった呼び方をするあたりは文法を学んでみないとまるでわからない冗談だし、執拗に繰り返される「知ったかぶり」というモチーフもね。
帽子屋や三月うさぎとのどたばたや、グリフォンとニセ海ガメの身の上話のくだりの集団での会話は絶妙だ。それは不条理だという定評を裏切ってリアルだとすら言える。
「先生は年寄りの海ガメでした・・・・・・わたしたちは先生のことをいつもゼニガメとよんでいました・・・・・・」
「ゼニガメじゃないのに、どうしてそうよんだのですか?」とアリスはたずねました。
「その先生はゼニに目がなかったからですよ」と海ガメはむっとして申しました。「ほんとにあなたって人はばかだねえ!」
「そんな、あったりまえなことをたずねて、あんた、はずかしくはねえのかい」とグリフォンも口をそえました。
海のそばで泣いている彼らを見ながら解けない謎がこの世にあることに、あしたもあさってもあり続けることに、深く深く感謝しつつ今夜眠りに落ちる。
☆面白い、と思ったらここをクリック!☆
オススメ対象:大人に。海辺で泣く怪獣に。
| ふしぎの国のアリス | |
![]() | ルイス キャロル Lewis Carroll John Tenniel おすすめ平均 ![]() 繊細なイラストAmazonで詳しく見る by G-Tools |
ずっとハミングしている男が、職場にいる。
「んーーーーー」、と。
心肺機能が高いのか循環呼吸ができるのか、信じがたいほど長く続くブレスだ。
私は「ホーミー(ただし低音だけなんだけどね)」とか「低周波」とか、呼んでいるのだけれど。
彼の低周波が怪我の回復を早めてくれたりするかどうかはわからないが、隣に座っている人は「耳が痒い」と言っている。耳垢が浮き上がってくると。あの音を聞かせながら雪を結晶させたら展開しないでただの固い雹になるだろうと。
彼がどうにも、チェシャ・ネコに似ているのだ。
顔立ちはいわずもがなだが、いつもニヤニヤしているところもぴったり同じだ。
そして何よりもどこまでも自分のやり方を通すところが、不思議の国の住人なのだ。
けれど実際のところチェシャ・ネコは、その姿や神出鬼没から気付く人が少ないけれど、「不思議の国のアリス」においては唯一の常識人であり、奇想天外で詩的な物語にしっかりと筋が立っているのは彼のおかげなのだ。
そう、アリスはまるでデッサンなしにいきなり描かれた絵のようだ。設計図なしに作られた城だ。計画の痕跡がないのだ。なのに決して崩れない。だから決して崩れない。どこまで分解しても、どこまで細かく刻んでも、ふんだんに空想の世界が盛り込まれていてその独自の世界から水も洩らさない。
子供の時分にはむしろアリスはどことなく不愉快だった。では興味がないのかというとそうではなくて、興味は持ち続けて何度も読んでいるのだけれど、あまりに謎が多すぎ、次から次へと息つく間もなく不思議な出来事が連続していくので、少し頭痛がするような、そんな感じなのだ。
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アリスがお兄さんの文法書で例文にネズミが使われていたがためにネズミに話しかけるときに「おお、ねずみよ!」と芝居がかった呼び方をするあたりは文法を学んでみないとまるでわからない冗談だし、執拗に繰り返される「知ったかぶり」というモチーフもね。
帽子屋や三月うさぎとのどたばたや、グリフォンとニセ海ガメの身の上話のくだりの集団での会話は絶妙だ。それは不条理だという定評を裏切ってリアルだとすら言える。
「先生は年寄りの海ガメでした・・・・・・わたしたちは先生のことをいつもゼニガメとよんでいました・・・・・・」
「ゼニガメじゃないのに、どうしてそうよんだのですか?」とアリスはたずねました。
「その先生はゼニに目がなかったからですよ」と海ガメはむっとして申しました。「ほんとにあなたって人はばかだねえ!」
「そんな、あったりまえなことをたずねて、あんた、はずかしくはねえのかい」とグリフォンも口をそえました。
海のそばで泣いている彼らを見ながら解けない謎がこの世にあることに、あしたもあさってもあり続けることに、深く深く感謝しつつ今夜眠りに落ちる。
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オススメ度:☆☆☆☆★
図書館に人と行くなんて、高校以来かもしれない。
昔から図書館は一人で行く場所だったし、そもそも図書館自体あまり行かない。気軽に本は買えるし、積読で床がきしるほどなんだし。
会社帰りいっしょにみなと図書館に寄った人はちょっと独特にしなやかな長身で、私は彼が少し無理して物を持っているのを見るのが好きだ。前に抱いた荷物を支えるために後ろに引いた背中の線とか(聖母マリアみたい)、案外重荷に耐えて不自然な姿勢で均衡を取り続ける筋力とか(時間が止まったみたい)
夢野久作全集をぱらぱらとめくる姿を書架の間に見つけたとき、彼は他にも数冊の分厚い本を、やすやすと細く長い指ではさんでいた。長いこと。そして彼は三一書房版と間違えて筑摩書房の夢野久作全集を買ったのだ、と言った。
その指が、ドグラマグラに疲れて挫折した経歴をもつ私に、この本を借りる気にさせたのだ。
夢野久作はひどく日本的な作家だと私は思っている。
何をもって日本的と言うのか、私にもクリティカルに見えているわけではないのだけれど。
ここで言う日本的の意味は、濃かな賑わいのことだ。
和風のものは、贅沢になればなるほど濃やかに賑やかになるように思う。そこがヨーロッパのものと決定的に違うように思う。ヨーロッパの緻密さがダイナミズムのあまりな巨大さによって出現する空間を埋め尽くすために発生するのとは全く異質なのだ。そう、それはまるで増殖する悪性腫瘍のように横広がりに境界を失って広がっていく、支柱はなくただ隣の細胞を作りかえてどこまでも横に横に連綿と続いていく、これが日本の濃やかさのように思う。
夢野久作はグロテスクなんだけれど、グロの扱いがグロくないゆえにグロテスクではなくなる、というおもしろさがある。グロは手段ではなく到達地点であり、また出発点でもある。最初から最後まで同じ澱みにとどまっている。ここにはドラマなどない。ドラマを起因するような、たとえばグロに対しての道徳などの対峙の構造は存在しない。夢野久作の世界の中で、道徳的なものは滑稽な存在だ。”滑稽に描かれている”のではなく、グロテスクをあまりに徹底して基調に据えているので、道徳など存在そのものが滑稽であり、いっそグロテスクなのだ。これが夢野久作の反転。不浄と清浄。あでやか。
貞操を疑ういかつい夫に斬られ血しぶきを放つ美しい母(「押し絵の奇跡」)、異国の軍人に皮袋に詰められ海に投げ込まれた女はおもちゃにされながらも惨めになることも反省することもなく同じエロスに沈んでいて(「支那米の袋」)、神父と非の打ち所のない女との不義を知った男の反応は顎が外れるってことだったり(「霊感」)、電車に飛び込み自殺する女のそばから飛び立った水色のパラソルはよく見ると群青と淡紅色の細かい縞々(「空飛ぶパラソル」)。
ドラマのない物語は濃やかな一幅の絵のように永遠に美しい。
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図書館に人と行くなんて、高校以来かもしれない。
昔から図書館は一人で行く場所だったし、そもそも図書館自体あまり行かない。気軽に本は買えるし、積読で床がきしるほどなんだし。
会社帰りいっしょにみなと図書館に寄った人はちょっと独特にしなやかな長身で、私は彼が少し無理して物を持っているのを見るのが好きだ。前に抱いた荷物を支えるために後ろに引いた背中の線とか(聖母マリアみたい)、案外重荷に耐えて不自然な姿勢で均衡を取り続ける筋力とか(時間が止まったみたい)
夢野久作全集をぱらぱらとめくる姿を書架の間に見つけたとき、彼は他にも数冊の分厚い本を、やすやすと細く長い指ではさんでいた。長いこと。そして彼は三一書房版と間違えて筑摩書房の夢野久作全集を買ったのだ、と言った。
その指が、ドグラマグラに疲れて挫折した経歴をもつ私に、この本を借りる気にさせたのだ。
夢野久作はひどく日本的な作家だと私は思っている。
何をもって日本的と言うのか、私にもクリティカルに見えているわけではないのだけれど。
ここで言う日本的の意味は、濃かな賑わいのことだ。
和風のものは、贅沢になればなるほど濃やかに賑やかになるように思う。そこがヨーロッパのものと決定的に違うように思う。ヨーロッパの緻密さがダイナミズムのあまりな巨大さによって出現する空間を埋め尽くすために発生するのとは全く異質なのだ。そう、それはまるで増殖する悪性腫瘍のように横広がりに境界を失って広がっていく、支柱はなくただ隣の細胞を作りかえてどこまでも横に横に連綿と続いていく、これが日本の濃やかさのように思う。
夢野久作はグロテスクなんだけれど、グロの扱いがグロくないゆえにグロテスクではなくなる、というおもしろさがある。グロは手段ではなく到達地点であり、また出発点でもある。最初から最後まで同じ澱みにとどまっている。ここにはドラマなどない。ドラマを起因するような、たとえばグロに対しての道徳などの対峙の構造は存在しない。夢野久作の世界の中で、道徳的なものは滑稽な存在だ。”滑稽に描かれている”のではなく、グロテスクをあまりに徹底して基調に据えているので、道徳など存在そのものが滑稽であり、いっそグロテスクなのだ。これが夢野久作の反転。不浄と清浄。あでやか。
貞操を疑ういかつい夫に斬られ血しぶきを放つ美しい母(「押し絵の奇跡」)、異国の軍人に皮袋に詰められ海に投げ込まれた女はおもちゃにされながらも惨めになることも反省することもなく同じエロスに沈んでいて(「支那米の袋」)、神父と非の打ち所のない女との不義を知った男の反応は顎が外れるってことだったり(「霊感」)、電車に飛び込み自殺する女のそばから飛び立った水色のパラソルはよく見ると群青と淡紅色の細かい縞々(「空飛ぶパラソル」)。
ドラマのない物語は濃やかな一幅の絵のように永遠に美しい。
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オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメ対象:年を取るごとにみずみずしくなる人へ
オススメポイント:頭などくだらないわ、心に比べれば。
クラリッサ。それは初めて読んだ17の年から、美しいひとの名前だ。
いつ読んでも、時の流れに色褪せぬ瑞々しさに目を瞠る。
昔の恋人ピーター・ウォルシュが突然訪ねてきて、あてつけ半分に自分は今ある女に恋をしている、と告げた再会のシーン。
クラリッサは彼の偽悪的な口調を観察しながら、相手の女のことを悪い女だと想像しながら、彼が未だに若いときのナイフをいじる癖を持っているのに苛立ちながら、「でも、このひとは恋をしている」「このひとは恋をしている」と繰り返し繰り返し感じる。あの永遠の若さのあえぎ、柔らかな風にほんのすこしずつ乳房を摘み取られていくよな狂おしさ。
舞台はロンドン、ビッグ・ベンの聞こえる範囲。時代は第一次大戦終結直後。登場する人々は、幼馴染のヒュー、昔憧れた女友達サリー・シートン、夫リチャード、娘エリザベス、自殺してしまうセプティマスと気の毒な妻ルチア、そしてもちろん植民地インドから帰って来たピーター・ウォルシュ。有力な人々、無力な人々。ペンは風のように鐘の音のようにロンドンの町を飛び響き、人々の感じるままを言葉に変えていく。この小説の主人公は流れゆき二度と返ることのない時間かもしれない。その時間の中で、人はなんて、様々に物思うのだろう。
ピーター・ウォルシュはクラリッサは老けたな、と思う。ピーター・ウォルシュはクラリッサは俗物だ、と思う。ピーター・ウォルシュはクラリッサは薄情だ、と思う。会いたくないと思う。二度と会うまいと思う。会いたいと思う。会いたい、会いたい。
目を見張るほど完璧な終盤、こんなに好きなラストシーンは他にない。
ダロウェイ家のパーティーで、ピーターは女主人クラリッサが自分のところに話しに来てくれるのをずっと待っている。昔馴染みサリー・シートンと語らいながら。彼らは、離れ離れでいた日々が自分たちの人生観をどのように揺るがしたかについて話す。
サリー・シートンは言う、感ずることだけが言う価値のあることだと思うようになったと。「利口さは馬鹿げてるわ。人は感じるままを言わなければならないのよ」。
ピーターはサリー・シートンに打ち明ける。自分には、自分の感ずるところがわからないのだと。人生は単純なものとは思えないと。「クラリッサとの関係は単純なものではなかったんです。それは僕の一生を台なしにした。二度と恋はできません」。
それでもピーターはこうも言うのだ。若いときにはあまり興奮しすぎて、ひとを知ることができないけれど、年をとって、成熟すると、観察することができ、理解することができ、しかも感ずる力を失わずにいる、悲しいかな。しかし人はそれを喜ぶべきなのだと。
私はある狂気が自分の身のうちにあることを知って震えてしまう。それはある日ヴァージニア・ウルフを水底へ連れ去った狂気だ。年を増すごとに感じることが増え、人生などこの一瞬一瞬に感じるままでしかないことを刻々と思い知りながら、いつか死んで消滅するしかない私達。美しくて無意味な、いとおしくて役に立たない、私達の人生。それを稀代の鋭敏な感性によって見つめつづけた天才ヴァージニア・ウルフの苦しみはいかばかりだったろう。ほんとうに、どんなに、どんなに、辛かっただろう。
そしてサリーが立ち去った後、あの決定的な瞬間が訪れる。
時間のなかで千々に乱れる特別な誰かへの思いがひとつの閃光となって、いつも賢くあることなどできない愚かな私に落雷する。私は深く頭を垂れてそれを受けるしかない。憎く思い信じきることが出来ず後悔し足摺し忘れようとあがいた、その感じた思いの一つ一つが突如臨界点を超え、その存在に深く雪崩れ込むのだ。美しいから、善良だから、立派だから愛したのではない、ただその深い存在そのものを絶望的に愛してる。
『
「僕も行きます」とピーターは言ったが、しばらくそのまま腰かけていた。この恐怖はなんだ?この有頂天はなんだ?と彼は心に思った。ただならぬ興奮でおれの全身をみたすものは、何者だ?
クラリッサだ、と彼は言った。
なぜなら、クラリッサがそこにいた。
』
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オススメ対象:年を取るごとにみずみずしくなる人へ
オススメポイント:頭などくだらないわ、心に比べれば。
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クラリッサ。それは初めて読んだ17の年から、美しいひとの名前だ。
いつ読んでも、時の流れに色褪せぬ瑞々しさに目を瞠る。
昔の恋人ピーター・ウォルシュが突然訪ねてきて、あてつけ半分に自分は今ある女に恋をしている、と告げた再会のシーン。
クラリッサは彼の偽悪的な口調を観察しながら、相手の女のことを悪い女だと想像しながら、彼が未だに若いときのナイフをいじる癖を持っているのに苛立ちながら、「でも、このひとは恋をしている」「このひとは恋をしている」と繰り返し繰り返し感じる。あの永遠の若さのあえぎ、柔らかな風にほんのすこしずつ乳房を摘み取られていくよな狂おしさ。
舞台はロンドン、ビッグ・ベンの聞こえる範囲。時代は第一次大戦終結直後。登場する人々は、幼馴染のヒュー、昔憧れた女友達サリー・シートン、夫リチャード、娘エリザベス、自殺してしまうセプティマスと気の毒な妻ルチア、そしてもちろん植民地インドから帰って来たピーター・ウォルシュ。有力な人々、無力な人々。ペンは風のように鐘の音のようにロンドンの町を飛び響き、人々の感じるままを言葉に変えていく。この小説の主人公は流れゆき二度と返ることのない時間かもしれない。その時間の中で、人はなんて、様々に物思うのだろう。
ピーター・ウォルシュはクラリッサは老けたな、と思う。ピーター・ウォルシュはクラリッサは俗物だ、と思う。ピーター・ウォルシュはクラリッサは薄情だ、と思う。会いたくないと思う。二度と会うまいと思う。会いたいと思う。会いたい、会いたい。
目を見張るほど完璧な終盤、こんなに好きなラストシーンは他にない。
ダロウェイ家のパーティーで、ピーターは女主人クラリッサが自分のところに話しに来てくれるのをずっと待っている。昔馴染みサリー・シートンと語らいながら。彼らは、離れ離れでいた日々が自分たちの人生観をどのように揺るがしたかについて話す。
サリー・シートンは言う、感ずることだけが言う価値のあることだと思うようになったと。「利口さは馬鹿げてるわ。人は感じるままを言わなければならないのよ」。
ピーターはサリー・シートンに打ち明ける。自分には、自分の感ずるところがわからないのだと。人生は単純なものとは思えないと。「クラリッサとの関係は単純なものではなかったんです。それは僕の一生を台なしにした。二度と恋はできません」。
それでもピーターはこうも言うのだ。若いときにはあまり興奮しすぎて、ひとを知ることができないけれど、年をとって、成熟すると、観察することができ、理解することができ、しかも感ずる力を失わずにいる、悲しいかな。しかし人はそれを喜ぶべきなのだと。
私はある狂気が自分の身のうちにあることを知って震えてしまう。それはある日ヴァージニア・ウルフを水底へ連れ去った狂気だ。年を増すごとに感じることが増え、人生などこの一瞬一瞬に感じるままでしかないことを刻々と思い知りながら、いつか死んで消滅するしかない私達。美しくて無意味な、いとおしくて役に立たない、私達の人生。それを稀代の鋭敏な感性によって見つめつづけた天才ヴァージニア・ウルフの苦しみはいかばかりだったろう。ほんとうに、どんなに、どんなに、辛かっただろう。
そしてサリーが立ち去った後、あの決定的な瞬間が訪れる。
時間のなかで千々に乱れる特別な誰かへの思いがひとつの閃光となって、いつも賢くあることなどできない愚かな私に落雷する。私は深く頭を垂れてそれを受けるしかない。憎く思い信じきることが出来ず後悔し足摺し忘れようとあがいた、その感じた思いの一つ一つが突如臨界点を超え、その存在に深く雪崩れ込むのだ。美しいから、善良だから、立派だから愛したのではない、ただその深い存在そのものを絶望的に愛してる。
『
「僕も行きます」とピーターは言ったが、しばらくそのまま腰かけていた。この恐怖はなんだ?この有頂天はなんだ?と彼は心に思った。ただならぬ興奮でおれの全身をみたすものは、何者だ?
クラリッサだ、と彼は言った。
なぜなら、クラリッサがそこにいた。
』
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オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメ対象:日本人の心
オススメポイント:情景のミルクレープ
「嘘は言ってない」という決まり文句がある。
ごはんは食べてないと言ったけれど、ラーメンは食べた、嘘は言ってない。
確かに。
「銀の匙」は大人の手になる子供の目で見た子供の世界だ、と古くから言われている。
私はそうは思わない。
子供らしくないことは書いてない、けれど、ここに書かれていない重大なことが、避けようもなく子供の世界にはあるはずだと思うのだ。たとえ誰の子供時代であっても。
透徹一貫した趣味による鮮やかな情景の積み重ねは実に珠玉未曾有の散文ではある。でもこの枕草子を思い起こさせる透徹一貫した趣味こそが大人のものではないか。子供を無防備にするのはむしろ趣味のなさであって、自分の趣味に合わないものを無視・排除する能力のなさだと思うのだ。知恵熱。そう、語られていないこと、それは、知恵熱だ。
知恵熱なしに子供の目で眺める、子供の世界。
「を」という文字を箪笥に落書きし、その形が女の座っている姿に似ているとひそかに心慰められていたというくだり、自分を教化しようとする兄と離れるくだり、どこも心ほどかれる。それは、この物語が立て付けの悪い引き出しから転がり出た銀の匙をきっかけにほろほろとまろびでるのと同じなのだった。
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オススメ対象:日本人の心
オススメポイント:情景のミルクレープ
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「嘘は言ってない」という決まり文句がある。
ごはんは食べてないと言ったけれど、ラーメンは食べた、嘘は言ってない。
確かに。
「銀の匙」は大人の手になる子供の目で見た子供の世界だ、と古くから言われている。
私はそうは思わない。
子供らしくないことは書いてない、けれど、ここに書かれていない重大なことが、避けようもなく子供の世界にはあるはずだと思うのだ。たとえ誰の子供時代であっても。
透徹一貫した趣味による鮮やかな情景の積み重ねは実に珠玉未曾有の散文ではある。でもこの枕草子を思い起こさせる透徹一貫した趣味こそが大人のものではないか。子供を無防備にするのはむしろ趣味のなさであって、自分の趣味に合わないものを無視・排除する能力のなさだと思うのだ。知恵熱。そう、語られていないこと、それは、知恵熱だ。
知恵熱なしに子供の目で眺める、子供の世界。
「を」という文字を箪笥に落書きし、その形が女の座っている姿に似ているとひそかに心慰められていたというくだり、自分を教化しようとする兄と離れるくだり、どこも心ほどかれる。それは、この物語が立て付けの悪い引き出しから転がり出た銀の匙をきっかけにほろほろとまろびでるのと同じなのだった。
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物語に「引きずり込まれる」

待っていた人魚姫











