お知らせ
オススメ度:☆☆☆★★
オススメポイント:タイトルの印象よりなごみ系
トリツカレ男、とあだ名される男がいる。
この男、とにかく常になにか一つのことにハマッテしまい、そればかりをつかれたようにやってしまう。たとえば、オペラにはまると喋り言葉が全部オペラ調になってしまう。語学にはまって15ヶ国語をマスターしたり、三段跳びの世界記録を作ったり、名探偵になったり。
そんなことをして暮らしているうち、人語を話すネズミを筆頭に、ギャングのボスや探偵仲間などの友達がたくさんできる。これはすべて彼がいままでトリツカレた何がしかが縁結びとなった友情なのだ。
そして彼はある日、一人のやせっぽちの少女にトリツカレることとなるのだった。
構成は童話の王道を行っていて、きれいにまとまっている。ことに、ネズミと仲間になるくだりは、気持ち良い。
難を言えば、キレイすぎる。
タイトルのセンス「トリツカレ」という語感で期待される不気味さが物語りに足らない。また副産物として期待されるのは、何かにハマりあっという間に達人となってしまう主人公の愉快さであり、これはこういう不具的天才を主人公とする物語では必要不可欠のものなのだが、この欲求がまるで満たされない。はまっていく過程やその成果が花開き世の中の人々に貢献されることの語り方が上品過ぎるのだ。
もっと不気味で下品な作品を期待。
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オススメポイント:タイトルの印象よりなごみ系
| トリツカレ男 | |
![]() | いしい しんじ おすすめ平均 ![]() つかれた時に、読むといい 懸命に何かをする。かっこいい事かも。 大人の絵本 移り気な彼の恋 賢いハツカネズミAmazonで詳しく見る by G-Tools |
トリツカレ男、とあだ名される男がいる。
この男、とにかく常になにか一つのことにハマッテしまい、そればかりをつかれたようにやってしまう。たとえば、オペラにはまると喋り言葉が全部オペラ調になってしまう。語学にはまって15ヶ国語をマスターしたり、三段跳びの世界記録を作ったり、名探偵になったり。
そんなことをして暮らしているうち、人語を話すネズミを筆頭に、ギャングのボスや探偵仲間などの友達がたくさんできる。これはすべて彼がいままでトリツカレた何がしかが縁結びとなった友情なのだ。
そして彼はある日、一人のやせっぽちの少女にトリツカレることとなるのだった。
構成は童話の王道を行っていて、きれいにまとまっている。ことに、ネズミと仲間になるくだりは、気持ち良い。
難を言えば、キレイすぎる。
タイトルのセンス「トリツカレ」という語感で期待される不気味さが物語りに足らない。また副産物として期待されるのは、何かにハマりあっという間に達人となってしまう主人公の愉快さであり、これはこういう不具的天才を主人公とする物語では必要不可欠のものなのだが、この欲求がまるで満たされない。はまっていく過程やその成果が花開き世の中の人々に貢献されることの語り方が上品過ぎるのだ。
もっと不気味で下品な作品を期待。
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オススメ度:☆☆☆☆★
オススメポイント:ポテトちゃん♪
オススメ対象:子育てにちょっぴり疲れたお父さんお母さん。そしてこぶたくんたち。
「よしよし、泣かないのよポテトちゃん」
私が言うとその人は
「何?ポテトちゃんって。ちょっと腹立つんだけど」
と言った。
”ポテトちゃん”が腹立たしいというその人の気持ちが面白くて、からかいたくなるとよくそう呼ぶようになった。
「なんでやなの?」
そう訊ねると
「だってイモ!ってかんじだし」
って感じ、というか、そのままである。
しかしなるほど、知らない人にとってはそう聞こえるのだ。イモって感じ、もったりやぼったい。
渋谷のブックファーストで、その人に「こぶたくん」を見せることができたときは嬉しかった。読み終えて「アマンダ・・・」と呟いた声もはっきり覚えている。
そう、ポテトちゃん”の出典は絵本「こぶたくん」なのだ。ちなみにアマンダとは主人公こぶたくんの妹である。兄はこぶたくんという名前なのに妹はとても人間らしい名前なのだ。しかしこれはこぶたくんのほうが翻訳時につけられた日本だけの名前で、原題によると彼はほんとうはオリバーという名前らしい。ミッフィーがうさこちゃんだったのと同じである。そうしたほうが売れると出版社は考えたのだろう。私もこぶたくんという名前は好きだ。
もちろんそれ以上に好きなのは、”ポテトちゃん”という呼び方。
「こぶたくん」にはこぶたくんの家族の5つのお話が収録されている
1.おかしを やく日
2.いもうと
3.おばあちゃん
4.ポテトちゃん
5.これは だれだろ
「ポテトちゃん」はいたずら盛りのこぶたくんとアマンダ兄妹と、彼らに振り回されるお母さんの、ある雪の日のとってもあったかいお話だ。
思い通りにならない子供たちに疲れ果ててお母さんがさめざめと泣いているとこぶたくんはこう言う。
「あれ、なかないはずなのに。かあさんてものは なかないものなんだよ」
そしてお母さんのひざに乗ってこんなふうに慰めてくれる。
「ないちゃだめ。かわいいポテトちゃん。 ぼくたち なかよしじゃない」
先日、私のポテトちゃんは「こぶたくん」を買ったらしい。息子のために。
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オススメポイント:ポテトちゃん♪
オススメ対象:子育てにちょっぴり疲れたお父さんお母さん。そしてこぶたくんたち。
| こぶたくん | |
![]() | ジーン・バン ルーワン Jean Van Leeuwan Arnold Lobel おすすめ平均 ![]() 仲良し兄妹のために こぶたくんってとても身近なストーリー お母さんだいすき 外が雨、あるいは、心が雨の日にお薦めの1冊Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「よしよし、泣かないのよポテトちゃん」
私が言うとその人は
「何?ポテトちゃんって。ちょっと腹立つんだけど」
と言った。
”ポテトちゃん”が腹立たしいというその人の気持ちが面白くて、からかいたくなるとよくそう呼ぶようになった。
「なんでやなの?」
そう訊ねると
「だってイモ!ってかんじだし」
って感じ、というか、そのままである。
しかしなるほど、知らない人にとってはそう聞こえるのだ。イモって感じ、もったりやぼったい。
渋谷のブックファーストで、その人に「こぶたくん」を見せることができたときは嬉しかった。読み終えて「アマンダ・・・」と呟いた声もはっきり覚えている。
そう、ポテトちゃん”の出典は絵本「こぶたくん」なのだ。ちなみにアマンダとは主人公こぶたくんの妹である。兄はこぶたくんという名前なのに妹はとても人間らしい名前なのだ。しかしこれはこぶたくんのほうが翻訳時につけられた日本だけの名前で、原題によると彼はほんとうはオリバーという名前らしい。ミッフィーがうさこちゃんだったのと同じである。そうしたほうが売れると出版社は考えたのだろう。私もこぶたくんという名前は好きだ。
もちろんそれ以上に好きなのは、”ポテトちゃん”という呼び方。
「こぶたくん」にはこぶたくんの家族の5つのお話が収録されている
1.おかしを やく日
2.いもうと
3.おばあちゃん
4.ポテトちゃん
5.これは だれだろ
「ポテトちゃん」はいたずら盛りのこぶたくんとアマンダ兄妹と、彼らに振り回されるお母さんの、ある雪の日のとってもあったかいお話だ。
思い通りにならない子供たちに疲れ果ててお母さんがさめざめと泣いているとこぶたくんはこう言う。
「あれ、なかないはずなのに。かあさんてものは なかないものなんだよ」
そしてお母さんのひざに乗ってこんなふうに慰めてくれる。
「ないちゃだめ。かわいいポテトちゃん。 ぼくたち なかよしじゃない」
先日、私のポテトちゃんは「こぶたくん」を買ったらしい。息子のために。
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オススメ度:☆☆☆★★
オススメポイント:ダンディズム
かっこよさって、信念を貫くことだと思う。
貫くっていうのは強さ。環境や状況に負けない、自分に負けないこと。
でも信念って何から来るのだろう。強さとか賢さとか、そういう属性からは出てこないもの。信念。
信念はきっと苦しみから生まれてくる。私はそう信じている。
白州次郎はかっこいい男だ。
二枚目でおしゃれで金持ちで学があって筋が通っていて骨があった。
資産家の息子として生まれた彼はケンブリッジに留学していたころを含め長く海外に在って世界情勢を知っていた。その達見から戦前から東京が空襲され日本が負けると見越し、都心を離れて鶴川で畑を耕して暮らしていた。
敗戦後の占領下、英語が喋れて政治もわかることからGHQとの交渉役に選ばれ、憲法制定に立ち会った。
吉田茂ら政府要人との関係が深く、表立った役職に付くことを嫌いながら常に昭和史の中心にい続けた。
ポルシェ911を乗り回し、ゴルフに興じる。弱いものに優しく、ユーモアを忘れない。
白州次郎は、そんな男だ。
こんな男もいた。戦争という時代にも。
でもこのことで、「こんなステキな人もいたんだ、日本だって捨てたものじゃない」なんて、第二次大戦の日本に関してはびこっている一面的な固定観念を簡単に和らげてしまうのは、安易すぎるだろう。
あの時代、軍部の台頭に反対しとどめようとした人々は数多くいたのだ。信念を持ち、強く賢く、気骨のあった人々が。でも彼らもどうすることもできなかった。彼らの多くは殺され追放され無視され、日本は大きな渦に飲まれて行った。その恐ろしさ。
どころか、東京裁判で裁かれた人々だって、信念を持ち、強く賢く、気骨があったのだ。優しくもあったろう、親切でもあったろう、命をだいじにもしたろう。その底のない恐怖。
誰も悪者になんかなってくれない。
でも悪いことは起こる。起こり続ける。続ける。
では何を考え続ければいいのか。
その信念を生み出した土壌を見るのだ。私の考えているとおり信念が苦しみから生まれるのであれば、その母たる苦悩を。それ以外の何かだと感じる人々は何らかのそれに代わる源泉を。
残念ながら、この本にはその源泉は、描かれて、いない。
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オススメポイント:ダンディズム
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信念はきっと苦しみから生まれてくる。私はそう信じている。
白州次郎はかっこいい男だ。
二枚目でおしゃれで金持ちで学があって筋が通っていて骨があった。
資産家の息子として生まれた彼はケンブリッジに留学していたころを含め長く海外に在って世界情勢を知っていた。その達見から戦前から東京が空襲され日本が負けると見越し、都心を離れて鶴川で畑を耕して暮らしていた。
敗戦後の占領下、英語が喋れて政治もわかることからGHQとの交渉役に選ばれ、憲法制定に立ち会った。
吉田茂ら政府要人との関係が深く、表立った役職に付くことを嫌いながら常に昭和史の中心にい続けた。
ポルシェ911を乗り回し、ゴルフに興じる。弱いものに優しく、ユーモアを忘れない。
白州次郎は、そんな男だ。
こんな男もいた。戦争という時代にも。
でもこのことで、「こんなステキな人もいたんだ、日本だって捨てたものじゃない」なんて、第二次大戦の日本に関してはびこっている一面的な固定観念を簡単に和らげてしまうのは、安易すぎるだろう。
あの時代、軍部の台頭に反対しとどめようとした人々は数多くいたのだ。信念を持ち、強く賢く、気骨のあった人々が。でも彼らもどうすることもできなかった。彼らの多くは殺され追放され無視され、日本は大きな渦に飲まれて行った。その恐ろしさ。
どころか、東京裁判で裁かれた人々だって、信念を持ち、強く賢く、気骨があったのだ。優しくもあったろう、親切でもあったろう、命をだいじにもしたろう。その底のない恐怖。
誰も悪者になんかなってくれない。
でも悪いことは起こる。起こり続ける。続ける。
では何を考え続ければいいのか。
その信念を生み出した土壌を見るのだ。私の考えているとおり信念が苦しみから生まれるのであれば、その母たる苦悩を。それ以外の何かだと感じる人々は何らかのそれに代わる源泉を。
残念ながら、この本にはその源泉は、描かれて、いない。
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オススメ度:☆☆☆☆☆
オススメ対象:無邪気な子供時代を持たない人へ
オススメポイント:無垢はかなし
子供時代を描いた数々の自叙伝に、いつもなじむことができない。そこに描かれている「幸せで無邪気な少年時代」に共感できないのだ。
無垢なんて、四歳の頃にどぶ川に捨ててしまった。
タフでなければ、生きていけなかった。
だから私には「戻りたい時代」などない。少女時代も、青春時代も、ない。年を取るほど楽になっていくのに、なぜあの苦しみに戻りたいのかわからないのだ。それが別段不幸をあらわしているとも思わないが、たとえ不幸であっても構わない。幸か不幸にかかわらず、一回あればいい類のものだ。私にも子供時代のいろあざやかな思い出は数多くあり、それはどれをとっても貴重で美しい。けれどそのとき共にあった呆然とするほどの心細さ、やるせないさみしさをこそげ落とすことは、できない。たとえ偉大な歳月の力をもってしても。
カポーティの描く少年時代は、肌になじむ。カポーティが繰り返し描いた無垢で優しい老女は、彼を育てた親類がモデルとなっている。子供の心を持ったまま大人になれずに年老いた彼女といっしょにいるとき、少年は心から彼女を愛し、彼女も心から彼を愛し、二人はこの世で最高の親友で、世の中のわからずやなんかめじゃないくらい深く理解しあっている。
それを「子供の心を持った大人」と「子供」の絆と見るよりもむしろ私が感じるのは、大人って子供に接する時にほんとうに奇妙な自分をさらけ出してしまうものだったなあという自分の記憶だ。大人たちは子供である私の何か(それが何であるのか子供である私にはわからない。まったく不可解だ)に深く感応して、彼ら自身の奇妙さをこっそり露呈してくるのだ。私が十代になってからぴたりと口を閉ざしてしまった母の子ども時代の昔語り、黒こげにしてしまったオーブントースター、プールから拾ってきたげんごろう、髪をとかしてくれとねだりながら昼寝におちる横顔。その無防備さがぽつんと寄る辺なく、悲しかった。頭の芯が無力感で軋むのだった。
無垢とは、いとしくもかなしい。
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オススメ対象:無邪気な子供時代を持たない人へ
オススメポイント:無垢はかなし
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子供時代を描いた数々の自叙伝に、いつもなじむことができない。そこに描かれている「幸せで無邪気な少年時代」に共感できないのだ。
無垢なんて、四歳の頃にどぶ川に捨ててしまった。
タフでなければ、生きていけなかった。
だから私には「戻りたい時代」などない。少女時代も、青春時代も、ない。年を取るほど楽になっていくのに、なぜあの苦しみに戻りたいのかわからないのだ。それが別段不幸をあらわしているとも思わないが、たとえ不幸であっても構わない。幸か不幸にかかわらず、一回あればいい類のものだ。私にも子供時代のいろあざやかな思い出は数多くあり、それはどれをとっても貴重で美しい。けれどそのとき共にあった呆然とするほどの心細さ、やるせないさみしさをこそげ落とすことは、できない。たとえ偉大な歳月の力をもってしても。
カポーティの描く少年時代は、肌になじむ。カポーティが繰り返し描いた無垢で優しい老女は、彼を育てた親類がモデルとなっている。子供の心を持ったまま大人になれずに年老いた彼女といっしょにいるとき、少年は心から彼女を愛し、彼女も心から彼を愛し、二人はこの世で最高の親友で、世の中のわからずやなんかめじゃないくらい深く理解しあっている。
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無垢とは、いとしくもかなしい。
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オススメ度:☆☆☆☆★
オススメ対象:危険なカーブを曲がったひとへ
オススメポイント:凡庸さは安心ではない。残酷な話だ。
「去年、仲良くなりはじめたころ、私、どんな風に見えた?」
鍋の湯気越しに、たずねてみる。
「どんなふうって?」
と連れは訊きかえす。
最初に頼んだサラダがことのほか腹にたまり、そのほかあれこれ頼んだもののあとだった。鍋を雑炊で仕舞うことはできそうにないな、と思った。
店は第一波で来店した客がちらりと帰り始め、新しい客がまた入っている、いつもどこかでグラスのぶつかる音が人の声に包まれてやわらかく響いている、そんな時間帯だった。
「あの頃私、ちょっとした人生のスランプに陥ってたの。」
「スランプ?」
意外なことを言われると彼は一瞬息を止める。そして心に言葉が落ち着くまで独り言めいて喋るのだった。
「どんな?え?どういう?・・いや、いずれにせよそんなふうには全然見えなかったよ。」
彼は思い起こすようにして言う。箸がとまり、宙をぎゅっと見詰める。彼の心に甦った私の像。それを見ることはどうやってもできないけれど、いつか”○○さんは前はもっと・・・もっと男っぽかったよ”と非難された、男っぽかった私なのかもしれない。
でも、と私はあん肝をすりつぶしたスープで見えない鍋の底を探りながらふいに、俄然、たのしくなってしまうのだ。今の私でいいのだ。そう知っている。
「ね。そんなふうに、みえなかったよね。」
私はすっかり嬉しくなって笑ってしまう。胸の底から転がるように笑いが沸き起こる。
それはちょっとした人生の危機だった。
32歳。手に職があって、収入も悪くない。土曜日にはカナダ人の家庭教師に英語を習う。毎晩電子ピアノで学生時代のレパートリーを練習する。時々小説を書く。ピアノも小説も、夫は意外にも的確な批評をして驚かせる。料理だけは偏食が強すぎて、批評以前に失格な彼だけど。忙しがっているわりには旅行も行く。少なくない友達がいる。占いは私にとって「好きではないけれど似合うといわれるので着ている服」のようなもの。それによると私は生涯孤独とは無縁、夢を叶え人に恵まれ富を得て長く生きるそうだ。
なんだこれは。わりと結構な人生のように見えるじゃないか。でも問題は、それが私の人生ではないように見えるということだった。
全てをコントロールしているという感覚。なんだかこいつが絶望的で、人生を陳腐に貶めてくれる。はじけて地面で雨に打たれている風船のなれの果て。
もう残りは消化試合なのか、このままゆるやかに老いていくのか。
もうワタシハ、二度ト傷つくこともナイのカ。
「回転木馬のデッドヒート」は、そんな人生の穏やかな狂気を見事に捕らえている。
人生は穏やかであってはいけないのではないか。
人は凡庸であってはいけないのではないか。
それが本当にこんなにも恐ろしいものであるのならば。
「それでそのスランプはどうやって抜けたの?もう終わったの?」
さて。
私は微笑む。
そして答える。
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オススメ対象:危険なカーブを曲がったひとへ
オススメポイント:凡庸さは安心ではない。残酷な話だ。
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「あの頃私、ちょっとした人生のスランプに陥ってたの。」
「スランプ?」
意外なことを言われると彼は一瞬息を止める。そして心に言葉が落ち着くまで独り言めいて喋るのだった。
「どんな?え?どういう?・・いや、いずれにせよそんなふうには全然見えなかったよ。」
彼は思い起こすようにして言う。箸がとまり、宙をぎゅっと見詰める。彼の心に甦った私の像。それを見ることはどうやってもできないけれど、いつか”○○さんは前はもっと・・・もっと男っぽかったよ”と非難された、男っぽかった私なのかもしれない。
でも、と私はあん肝をすりつぶしたスープで見えない鍋の底を探りながらふいに、俄然、たのしくなってしまうのだ。今の私でいいのだ。そう知っている。
「ね。そんなふうに、みえなかったよね。」
私はすっかり嬉しくなって笑ってしまう。胸の底から転がるように笑いが沸き起こる。
それはちょっとした人生の危機だった。
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なんだこれは。わりと結構な人生のように見えるじゃないか。でも問題は、それが私の人生ではないように見えるということだった。
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さて。
私は微笑む。
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オススメ度:☆☆☆☆★
オススメ対象:不思議の国のアリスよりも鏡の国のアリスが好きな人に。自分のスタイルを確立できないことに疲れた人に。
オススメポイント:様式が整っており、謎も楽しめる。
耐え難いのは、教室で昨日と同じ席に座ること。
自由にどこにでも座っていい、と言われたクラスは選択で生徒は少なく、座席はほとんどが空いていた。
だから私は毎回違う場所違う人の隣に座った。
「君はちょっと変わってるね。ちょっぴりどこかがおかしいかもね」
教師は言った。
昨日と同じことを繰り返すのは耐えがたかった。
反復する日常の枠からいつもはみ出てしまう。
この世界で一番残酷な違いは砂糖と塩とか、天国と地獄とか、そんな違いではなくて、砂糖と電車、戦争とアルマジロ、噴火とほくろ、そんな違い。ドアは開けても開けても前とは違うジャンルの音楽が鳴り響き、どの部屋にもい続けることなんかできないし、何やっても何か違うそのくせ、何かやらないで生きるにはあまりに長すぎる人生、何かやろうとするととたんに短い人生、どきどきがどんどん大きくなっていく。
「それ」は全然見つかんなくて、世界はいつも「もっと何か別のこと」に満ち満ちてて、膨らみ続ける風船が私の居場所をきゅうきゅう圧迫する。
若さが苦しい。
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」はそんな若き日の私に安らぎをもたらしてくれた本のひとつだ。私は飽かずこの本を読んだ。最初は父のハードカバーで、やがて自分で買った文庫本で。誰かに貸した文庫が返ってこなければまた新たに書店で求め、繰り返し、繰り返し。
不思議なものだ、昨日の繰り返しは嫌なのに、本は繰り返し読めるなんてね。
同じ安らぎをもたらしてくれる本が、他にもあった。それは数冊の料理の本だった。
素材別の調理法の本、一般的な献立の基礎の本、おもてなし用のご馳走の本、弁当用の本。
にくじゃが・ビシソワーズ・ミートローフ・冷凍庫クッキー・鶏のキジ焼き・チキンライス・ババロア・豆腐の卵とじ、茶巾寿司。
何度も読むうちにその料理のコツや味の特徴がレシピから読み取れるようになった。よく出来たマニュアルがそうであるように、それらの本の簡潔さは雄弁だった。どのスパイスが肉の臭みを抜くのか、どの工程でどの材料がどういったやわらかさに火が通っていなければならないのか、口に入れたときにどのような食感になるのか。わかりやすさのために割愛されているさまざまなことが、繰り返し読むことで行間から、たとえば材料の切り方や鍋に入れる順番から、あぶりだされてくる。読めば読むほど奥が深く意図が細部に宿っている。
私は何度も読み返しては頭の中で献立を組み、全体の手順をシミュレートした。
ちょうど母が家を出て行った頃だったから料理はすぐに役に立ち、受験の準備の合間に私は腕を上げた。
それが嵩じて高校三年の夏には料理の専門学校に資料請求までした。
料理をするのは好きだった。父も弟も友達も私の料理を喜んだ。私も彼らに料理を食べてもらうのが大好きだった。でも私はやはり「その部屋」にもとどまることはできなかった。資料は捨てた。最初から、料理人を目指すつもりなんか、それどころか、目指すつもりになる可能性を信じる気すら、ちっともなかったのかもしれない、とそのことに苛立った。
私には「何かになる」ことはできなくてどうにも自分であることしかできなくて、でも自分が何なのかわからないままどきどきがどんどん大きくなる、世界は膨らみ続けている。
今にして思えば、私はこの本にスタイルを求めていたのだと思う。確立された、秩序を。
料理の本に摂理を求めていたように。
ハードボイルドワンダーランドの主人公の持っている、こまごまとしたコダワリ(実にソファーや車の選び方やサンドイッチの作り方に至るまで)や、世界の終わりに在る秩序が、私にささやかな安らぎをもたらしていたのだ。
受験の準備の合間に埃っぽいヒーターの前にうずくまるようにして本を広げ、時にキッチンに立って料理を作った。そして私自身の問題や出て行った母のことや進学のことがいつも「もっと何か別のこと」に変化し続けて私を圧倒する混沌の嵐のさなかに、他人のスタイルを借りてやっと、息つける場所を確保していたのだ。
若さは、今も苦しい。
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オススメ対象:不思議の国のアリスよりも鏡の国のアリスが好きな人に。自分のスタイルを確立できないことに疲れた人に。
オススメポイント:様式が整っており、謎も楽しめる。
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だから私は毎回違う場所違う人の隣に座った。
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料理の本に摂理を求めていたように。
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賢いハツカネズミ










