びぶりおふぃりあ  ブックレビューとオススメの海外ドラマ・映画のあらすじと感想。顔面血管腫(赤アザ)カバーメイク体験談

2011福島第一原発危機

ここでは、「2011福島第一原発危機」 に関する記事を紹介しています。

絆、という言葉が流行り、2011年を表す漢字にも選ばれた。
しかし震災のがれき受け容れでは多くの自治体がNOと言う。
この状況について「おかしいのではないか、絆というのは口先だけか」という批判の声がある。

私はおかしくないと思う。
絆というのは排他的なものだ。
絆とは、家族、友人、仕事の同僚やスポーツ・趣味などの仲間など、自分に深い関係のある人に感じるもので、会ったこともない人に絆を感じたりはしない。
もちろんこの関係は相対的なもので、日本人としての絆が深まるとすれば海外に対して排他的になる、という形で実現する。
要するに、絆という言葉が流行るくらいだから皆、遠くの人より自分の周りの大切な人を守りに入ってるわけで、そういう人々ががれき受け容れにNOというのはまったくすんなり腑に落ちる話だと思うのだ。

人は皆孤独だ、という言葉に多くの人が共感すると思うが、その共感が孤独を癒しはしない。絆という言葉に多くの人が共感したとしても、同じことだ。

この一年、様々なことを考えてきたが、結局ものごとを複雑にしているのは原発なのだと思う。
被災地にも素直に復興を望まれ励まされる場所もあれば、原発の放射能に激しく汚染された地域に対してどのような状態を望むのか人それぞれ分かれる場所もある。非常に差別的なことだけれど事実としてある。

差別的な気持ちが含まれたビジョンには力がない。

そんな状況を打破するための夢は、汚染された地域を全部除染するとか、今後原発事故が起こらないように原子力発電所そのものをできるだけ無くして行くとか、そういうことを信じられるような政治があればいい。

しかし、この一年の政治を見て「あり得ない」と悟った。

全ての人が幸福になることを一生懸命考えているんだ、という夢(幻想)が無い限り、ビジョンには力がない。

誰かにビジョンを注文して横着しようという気はないのだけれど、政治でなければできない大きなことがあるのは事実だ。
そこに強い閉塞感、打破できない壁があり、すると、私の中の日本地図には農作物や水産物を買いたくない産地が明確に色分けされていて、日本という国に対して何かを思う【資格】が自分には無いのだ、という気持ちになる。

暗い気持ちに。

絆、ねぇ……。


冷却では収まらないから遮蔽に切り替えたほうがいいのに、なんで冷却できるかのように装っているのかな……
と、最初に思ったのはいつだったっけ、とFaceBookの投稿をさかのぼってみたら、
3月17日でした。

facebook0317

みてください、この、誰ひとり「いいね!」していない投稿。
FaceBookの「いいね!」なんてアメブロのペタより軽い、皆お義理でクリックしてくれるのに…

と、誰にも賛成してもらえなかったこの頃が、一番精神的に辛かったです。

自分にほんの少しでも何かできるんじゃないか、一人でも誰かをより安全な方にいかせられるんじゃないか、という可能性がある限りは辛いものです。
今はもういろんなことが間に合わないから苦しくない。


さて、最近(ここ1ヶ月くらい)になって、もう冷温停止とか無理なんじゃないの、地下水とかどうするの、みたいなムードになってきたのでしょうか?

3月の時点で冷却と並行してトンネル掘るべきだと思ったけどなぁ。冷却はあくまでもトンネルを掘る人が作業できる放射線量に下げる目的で注水も調整して…。
今からあのへん掘ったら汚染水が湧いて作業できないこと請け合いです。

ところで
アレバ・キュリオン・東芝のシステムは「放射能汚染水の浄化」じゃなくて、

① 濃くて危険な放射性物質
    ↓
② 水に薄め核反応を抑えたり遮蔽したりする
    ↓
③ 科学反応で濃縮して再度集める

の③の部分、
「放射性物質の集約」システムだよね。
なんだか浄化って言うと、放射性物質の移動にオブラートがかかるように思います。
水の置き場がないという問題が切迫しているため、水の浄化という側面しかライトが当たらないのでしょうか

①を全部この工程でコントロール可能な領域に移動させるとしたらどのくらいの水と時間とお金が必要なんだろう…
この底の抜けた不完全な循環をどこまでを区切りとして稼働させるのかがまったく見えません。

私の考えでは、この③の部分はとても難しい、デリケートで危険な工程だと思うんです。

①の濃さとむき出しの状態で扱えなかった放射性物質を、ある程度の薄さに調整しかつ密封した状態の中遠隔操作でコントロールということですから、綿密な設計と十分なテストが必要なプラントであることは明らかで、突貫工事では安全性を全く担保できないと思います。

アレバ・キュリオンに儲けさせるのは原発仲間であるフランスやアメリカへの迷惑料、外交策が発端ですが、
遅かれ早かれ福島第一原子力発電所の1号機から4号機は石棺(に類したもの)に入れるという方向に舵を切るしかないと思いますし、それも後ろにいけばいくほど難易度が上がって行くでしょう。
今、福島で起きてること、東北で起きてること、東京で起きてること、日本で起きてること…
これは20年不景気の悲劇の最終幕だろう。

私が考える「東京から人が逃げ出さない理由」は以下の3点だ。

1)【公】で安全とされていること
2)周囲の人が逃げ出さないこと
3)長く続いた20年不景気


この三つが三すくみ状態なのだ。
1)と2)については他の人が何十年も前から腐るほど言ってることなのでここで繰り返さないが、肝心なのは3)20年不景気の影響だ。

20年近く不景気が続いて、本当に東京にしか仕事がない
大阪本社の会社だってもう10年以上前に東京支社に軸足移してる会社がいっぱいある。
2000年くらいに「ちょっと出稼ぎ」みたいな感じで部署ごと東京に来てそのまんま帰らないシステム開発の会社とかいやになるほど見てきた。皆「このプロジェクトが終わったら帰れる」って最初は期待してたけど、最近では「東京でも仕事がなくなるかも」って言うようになっていた。
仕事がないのに移住できるほど皆余っているお金がない、お金なくてもなんとかなるよって楽天主義も残ってない
この20年間の不景気に削り取られてそういう基礎体力が全然ないんだよね。

ぶっちゃけ、金も希望もないの、もともと、震災前の時点で既に

だから3・11の東日本大震災は最悪のタイミングで起こったんだよね。

私は3月16日以来、放射能の影響で日本の中心地が東京から大阪に移るなら私も大阪に移ってそこでビジネスをしようと思って注目しているけれど、その点では政府のすぐばれる安心・安全のウソは効を奏し今のところは東京を保持している。

福島の人たちはなぜ逃げないのか

ではより一層危険な福島県(特に東部)に住んでいる人の多くはなぜ逃げ出さないのか。
転勤族の娘でどの土地にも根ざしていない私には、どこであれ(東京ですら)土着の人の気持ちは絶対にわからないし、特に地方に暮らす人の気持ちとなったら、想像を絶している。この震災をきっかけに地方に暮らす人の存在を感じたくらいに意識が希薄だ。

それでも私は、福島の人たちが逃げない大きな理由のひとつは東京の人が大阪に移住しないのと同じで、20年不景気で動くに動けない弱り目に祟り目みたいな状況なんじゃないかと考えている。

金がないし希望がない。

どっちかないと人は動けない。

それらがあれば動く人はもう少しいるはずだ。
(愛着・愛惜で郷里を離れられないという人は尊重する(=諦める、放っておく)しかないと思う。)

経済不安と健康不安は自殺の2大原因なので、汚染地域から動かないことによる健康不安と動くことによる経済不安(動かなくても経済不安が皆無とはいえない)のジレンマから早く解放できるように、金と希望が必要だ。

希望と結び付いた金とは、寄付ではなくて(それもある程度必要だが)自分で手に入れられる金、つまり仕事だ。

政府は何をすべきなのか

原発事故を収束させることが第一ではあるけれど、長期化する一方である以上、パラレルで今後の日本を創造する新しいビジョンを示さなければならないのが現状だ。
政府が継続して国民に仕事を作り与えることと、そのことをきちんと国民が安心する形で知らしめることが必要だ。
ところが、政府だってこの20年間ずっと、景気を良くすることを第一の目標として金を使い税収を抑えて取り組んできたのだ
結果、全く効果がなかった。
つまり、国にも金も希望もないということなのか…?

あれ?国に金がない???
すごい違和感…

年間10兆円くらいやってるODAを全て打ち切って内政に振り分け、復興と雇用創出に専念すれば光明が見えるんじゃない??
日本に今必要なのは、「もはやODAを拠出する側ではなくてむしろ援助されるべき側になった」ことを認め虚栄を捨てて一から地道に努力することだ。
ひとつの時代が終わり何もかも失った状態から頑張るのは得意だという実績が、戦後の復興で築かれているのだから。
国債をガラガラ刷ったり税収をしぼりあげたりして作った金は絶望と結び付いた金で、希望を生めない。
金はただの金額じゃない、何と結び付いているかがとても大切なのだ。
今の日本には希望と結び付いた金が必要だ。

最大の問題は、日本には自力でプロジェクトを終わらせる力がなく常に外圧頼みだということだ。
太平洋戦争だってその力さえあれば原爆が投下される前に降伏して終わっていただろう。

人は時として危機に接して、守るべき弱い存在ではなく自分を守ってくれる強い存在を守ろうとする。
そしてそれは大抵の場合失敗に終わる。自分より強い存在を守ることはできないし、危機というのはその強い存在が破たんしたときに起こるからだ。
戦後未曽有の危機が訪れたこの3・11で、政府がとっさにまもろうとしたのは、経済大国日本だった。
そこにはなんというか、利権がどうこう以上に、もうそれしか日本の拠り所はないのか、というやるせなさがある。

日本の誇りが結果としての経済大国日本ではなく、そこに至るまでの戦後復興の過程であるならば、もう一度新しくやり直せるし、それこそが真骨頂だろう。
それに関して不安に思う人はあまりいないのではないだろうか。

国民の課題は復興ではなく、3・11以前の日本をどのように賢く少ない犠牲で終わらせられるかということ、そのためにひとりひとりが何をすべきか考えることだろう。
村上春樹氏のカタルーニャ国際賞授賞式でのスピーチ、Youtubeに上がっていたので全部聞いてみた。



 村上春樹カタルーニャ国際賞授賞式スピーチ1/4(Youtube)
 村上春樹カタルーニャ国際賞授賞式スピーチ2/4(Youtube)
 村上春樹カタルーニャ国際賞授賞式スピーチ3/4(Youtube)
 村上春樹カタルーニャ国際賞授賞式スピーチ4/4(Youtube)

良い内容とは思わない。
あまりにも全体的すぎて漫然としており、率直に言って、小学生の作文レベルのスピーチだった。
なによりも、どうしてもこのことについて言及しなければならない理由を感じることができなかった。

でもまあ、私としてはノルウェイの森以降の村上春樹氏に「何が何でもこれを言わねば死んでも死にきれぬ」気迫を感じたことがない。
自分の体験をもとにした小説を書ききったことで村上春樹氏の原動力は昇華され、いったん途絶えたのだと私は考えている。もちろんだからといって未来永劫、作家としての彼の価値が固定化されたわけではなく、今後円熟してもっと普遍的な原動力にリンクする可能性に期待して新刊を買っているのだが。

私がそのように評価していないにも関わらず彼の本はとても売れ続け受け入れら続けているのだから、単に個人的に波長が合わないのかもしれない。

外国で外国人向けにしたスピーチなのだから背景を含めどこから話せばいいのかという設定の問題があるし、すると無常感や桜などを持ちださなければならないのかもしれない。

でもそれだけではなくて、一番の違和感は、これが外国で外国人向けにしたスピーチのように聞こえるからではなく、日本人がしたスピーチのように聞こえないこと…もとい、日本に住んでいる人のスピーチに聞こえないことなのだ。

村上春樹氏は今どこで暮らしているのかなぁ…。

時事ネタは現場に聞き手である自分よりも近くいる人の発信じゃないとピンとこないかも。
イスラエルでの「壁と卵」はとても良いスピーチだったけど、それもイスラエル現地に住んでいる人からしたらやっぱり響かないものだったのかもしれないと今回思った。(雑文集には村上春樹氏が色々な場面で行ったスピーチが載っている)

さておき、【公】で出された発表の方が【私】で知られている真実よりも重いという日本のしきたりからいうと、村上春樹氏のような国際評価を受けた著名人が「問題が確かにそこに存在するのだ」と発言してくれるだけでも意味があるわけでありがたいことだと思う。(これについてはまた後日書きたい)

村上春樹 雑文集
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オススメ度:☆☆☆☆☆
隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ
隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ小出 裕章

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「原子力研究の世界に住みながら、なぜ原子力に反対し続けるのか、そのことをこの本に記します」(まえがき)



あらすじ・感想:
小出裕章(こいでひろあき)さんは、京都大学原子炉実験所・助教(助手)。
70年代からずっと原子力発電の反対運動をしてきた人で、その道では知られてきたが、
このたびの福島原子力発電所危機に際し、俄然一般に知られるようになった。

3月後半からラジオ・インターネット動画配信などのマイナーメディアに出ずっぱり、
政府・東電の発信する安心・安全情報に疑心暗鬼となった人々が納得できる説明を、「~なのです」という独特の口調で穏やかに重ねてきた。

5月半ばにはついに新聞や地上波TVにもその名が出るようになり、23日には国会によばれて話をすることになっているそうで、ついに事態がそこまできた、という感がある。

原子力という学問において万年助手として冷遇されながら、原発反対運動においていつも穏やかに諦めず同じことを繰り返し語ってきた小出裕章さんのことを考えると、自分に果たしてそんな生き方ができるだろうか、と思い、いや到底できない、と思う。

「隠される原子力・核の真実」は、原子力(核)の危険性と原子力産業の問題点を客観的なデータを引きながら平明に淡々と記した良書。

 1章 被ばくの影響と恐ろしさ
 2章 核の本質は環境破壊と生命の危険
 3章 原子力とプルトニウムにかけた夢
 4章 日本が進める核開発
 5章 原子力発電自体の危険さ
 6章 原子力に悪用された二酸化炭素地球温暖化説
 7章 死の灰を生み続ける原発は最悪
 8章 温暖化と二酸化炭素の因果関係
 9章 原子力からは簡単に足を洗える
10章 核を巡る不公正な世界
11章 再処理工場が抱える膨大な危険
12章 エネルギーと不公平社会



福島第一原発危機を体験中の人なら基礎知識があるため、非常に読みやすい内容となっている

隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ
小出 裕章

放射能汚染の現実を超えて 原子炉時限爆弾 原発事故…その時、あなたは! 朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫) 原発事故 残留汚染の危険性

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原発のウソ (扶桑社新書)
原発のウソ (扶桑社新書)小出 裕章

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「原発のウソ」の目次
まえがき
  起きてしまった過去は変えられないが、未来は変えられる
第一章 福島第一原発はこれからどうなるのか

奇妙な「楽観ムード」が広がっている/原子炉は本当に冷却できているのか?/「崩壊熱」による燃料棒の損傷/炉心は核燃料が解けるほどの高温になっていた/今後起こりうる最悪のシナリオ/チェルノブイリに続く、新たな「地球被曝」の危険性/悪化する作業員の被曝環境/水棺方式に疑問あり/「進むも地獄、退くも地獄」の膠着状態/再臨界は起きたのか?/政府と東京電力は、生データをすべて開示すべき/レベル7とはどういう事故なのか/「首都モスクワの中心部に建てても安全」と言われていた原発が大事故に/今も残る「放射能の墓場」/1000あまりの村々が廃墟に/「チェルノブイリの10分の1」と安心はできない


第二章 「放射能」とはどういうものか

放射能は知覚できない/キュリー夫人も「被曝」で亡くなった/放射線が人間のDNAを破壊する/JCO臨界事故の悲劇/細胞が再生されず、人間の身体が壊れて行く/放射線のエネルギーはものすごい/福島第一原発からどのような放射能が出ているか/骨をむしばむストロンチウム、「最凶の毒物」プルトニウム/すでに原爆80発分の放射能が拡散している


第三章 放射能汚染から身を守るには

「安全な被曝」は存在しない/解明されつつある低レベル被曝の危険性/風と雨が汚染を拡大する/被曝から身を守る方法/情報ルートを開拓する/「現実の汚染にあわせて」引き上げられた被曝限度量/子どもに20倍の被曝を受けさせてはならない/「放射能の墓場」を原発付近につくるしかない/汚染された農地の再生は可能か/若ければ若いほど死ぬ確率が高くなる/被害を福島の人たちだけに押し付けてはならない


第四章 原発の”常識”は非常識

原発が生み出した「死の灰」はヒロシマ原発の80万発分/国も電力会社も危険だということはよく分かっていた/電力会社が責任をとらないシステム/結局、事故の補償をするのは国民自身!?/原発を造れば造るほど儲かる電力会社/原発のコストは安くない/大量の二酸化炭素を出す原子力産業/JAROの裁定を無視して続けられた「エコ」CM/地球を温め続ける原発


第五章 原子力は「未来のエネルギー」か?

「資源枯渇の恐怖」が原発を推進してきた/石油より先にウランが枯渇する!?/核燃料サイクル計画は破綻している/破綻確実の高速増殖炉「もんじゅ」/プルサーマルはこうして始まった/「プルトニウム消費のために原発を造る」という悪循環


第六章 地震列島・日本に原発を建ててはいけない

地震地帯に原発を建てているのは日本だけ/「発電所の全所停電は絶対に起こらない」ということになっていた/多くの原発が非常用電源を配備できていない/「地震の巣」の真上に建つ浜岡原発/瀬戸内の自然を破壊する上関原発/原発100年分の「死の灰」をため込む六ヶ所再処理工場/再処理工場は放射能を「計画的」に放出する/放射能を薄めずにそのまま放出/「もんじゅ」で事故が起きたら即破局


第七章 原子力に未来はない

原子力時代は末期状態/先進国では原発離れが加速/日本の原発は「コピー製品」/「原子力後進国ニッポン」が原発を輸出する悲喜劇/原発を止めても困らない/伝慮気う消費のピークは真夏の数日間にすぎない/廃炉にしても大量に残る「負の遺産」/100万年の管理が必要な高レベル放射性廃棄物/「核のゴミ」は誰にも管理できない/何よりも必要なのはエネルギー消費を抑えること


3.11以来忙しく活動されている様子の小出裕章さんですが、新刊が出るようです。

他の著書のあとがきにも本を書くのは気が進まなくて編集者の方が今まで書いたものをまとめてくれて本ができました、と書いていたので、今回もそのようにして本にまとめられたのかなと思います。

小出裕章さんは女川原子力発電所建設の際に原発政策・産業の矛盾に気付いて以来40年間、原子力の研究者でありながら反原発の態度を貫いています。
小出裕章さんが、今中哲二さんらとともに京都大学原子炉研究所の熊取6人組と呼ばれ冷や飯を食わされてきた、というのは事実なのだと思いますが、みているとそれなりに支持している人がいる気配を感じます。

ところで、ネットTVやラジオに小出さんと共に今中さんがどうして出て来ないのかなって疑問に思っていたのですが、この記事「迫害され続けた京都大学の原発研究者(熊取6人組)たち 危険性を訴えたら、監視・尾行された」を読んだら、今中さんは、ちょっと独特の面白い方みたいですね。飯舘村の放射線量を測っている姿では杖をついていらっしゃいまして、少し気になりました。

小出裕章さんたちが熱心に反原発脱原発を訴えてきたのが、事故の前に原発を止めるには至らず、事故の現状をできるだけ正しく報道する、計測し記録する、という役割を果たすことになったことは、大変皮肉だと思いますし、彼ら自身も無念でしょうね。

ほら見たことか、言った通りだろ!と勝ち誇ることもできないのが原発事故の深刻なところです。

6月3日
「原発のウソ」、私はAmazonで予約して六月二日にとどきました。
目次に内容が詳しく書かれていたので目次を更新しました!ご参考までに…
最大の「原発のウソ」は、原発が停止したら電力が足らなくなるという話かな?
原発のウソは多すぎてしかもひどいことばかりなので、どれが一番のウソとは言えないのかもしれないけど。

福島第一原子力発電所危機についてのかなり新しい見解も含んでいるので、「原発のウソ」おすすめです。
地上波や全国紙であまり見かけることのない小出裕章さんの著書「原発のウソ」が書店の店頭に並んで非ネットユーザにも読まれるようになるかもしれませんね。

今後の原発情報合戦からも目が離せません。
国家権力を恐れる気持ち、私もひとりの小市民として持っています。

この「恐れ」、この裏側には、頼りにしているという「期待」の面があるものではないでしょうか。

例えば、原子力発電所が危険なものであるということは(チェルノブイリ世代の憂鬱、で書いたように)私は大変危険だと思っていました。大事故を起こす可能性のあるものだ、とわかっていました。
でもそれでも「原子力発電所は絶対安全なんだ」という政策が推し進められたとき、私はこんな風に漠然と考えたんです。

「大事故を起こす可能性があるということは、偉い人たちにも当然わかっているだろう、それでも利益のために推進するのだから、いざという事態の時には裏のシナリオが用意されていて、事故に対応する気なのだろう」

って。
自分の認識と世の中のありようの間にブリッジをかけたんですね。あくまでも自分の世界観のバランスを保つためですが、私はしばしばこうやって世の中の理不尽さになじもうとしているような、そんな自己欺瞞の連続であるような、気がします。

この陰謀めいた国家像は、びっくりするほど裏切られました。
国には何の策もなかったのです。
ただの無能だったのです。
多分嘘だと思いますがこの福島第一原子力発電所の大事故は「想定外」の事態だなどと言って、隠蔽情報統制以外の働きではまったく有能さのかけらも見せませんでした。

それに気付いたのは、3・11から数日間の報道でこう感じたときでした。

政府はひょっとして、この事態をアメリカ軍がなんとかしてくれると思っているのか?

報道のバイアスもあると思いますし、これは理屈というよりは勘のようなものなのですが、とにかく強くそうとしか思えない、と感じたんです。
そして、それはとてもお門違いなこと、恥ずべきことのように感じました。
安全保障条約は少なくとも表向きには内政に関わるものではないし、そもそも自国民を危険にさらしたくないから他の国の国民にそれをやらせるというのはあり得ませんよね。
憲法9条だって原子力発電所の事故を収束させるような活動を放棄してはいません。

安全保障条約や憲法9条が日本を骨抜きにしたのではないのかも…?
戦争放棄によって平和を愛し守るのではなく、人を死地に赴かせる力がないだけではないのか…
そしてその一方では次々と放射線基準値を引き上げ、国民の命を大切にする姿勢が見られない…
こんな国を国際社会は一人前に見てくれるのだろうか…

心底、日本の国家に失望しました。

今、東電と政府は、福島第一原子力発電所の原子炉を冷却し、9ヶ月以内に事態を収束させるという夢のような話をしています。
「スケジュールは間に合いそうにもないし、実現すら不可能そうに見えるけど、私より賢くて偉い人が大勢で考えて一生懸命やってるんだから私がわかってないだけできっと何かすごい解決策を隠し持っているんだ」
という気持ちは必ずや……

じゃあ国家なんて恐るるに足らんのか、っていうと、どっこいそんなことはない、相変わらず個人は弱く国家権力は強大なのですから、暗澹としますね。

こういう気分のときどうするかって言ったら、もう、音楽を聞き、小説を読み、絵画を見る、これしかないように思うんです。
あれ?現実逃避のように聞こえるかな?
だとしたら、私の言いたいことが十分に書けていないのだと思う。
むしろこう書いた方がいいかもしれない、

こういう思いや行き場のないエネルギーをどうするかというと、もう、音楽を作り奏で、小説を書き、絵を描く、そうするしか表現のすべがない。

ほんとに。
輸入食品の放射能濃度の規制限度は370ベクレルです。
  (リンク)放射能暫定限度を超える輸入食品の発見について(第34報)
福島第一原子力発電所危機以降、2000ベクレルまでは安心・安全だというルールが作られました。

■食の安全について

TVでは福島県の物産展で買い物をしている人や福島県野菜をメニューに載せているレストランを美談のように扱い、
昔のひげそりのコマーシャルのように日ごとに人を変えて売り場でつかまえ、
「ええ、お店に出てるものは安全だと思ってます」
とコメントさせています。
あれはセリフが決まっているのか、そのセリフが出るまでインタビューしているのか、誘導で質問しているのか、
なんなんでしょう。
じゃあどうして私の行くスーパーで夜になっても○○産のレタスが売れ残っていたり(普通は夕方には売り切れる)、○○産の大根が山積になっていたりするのでしょうか。

政府やマスコミが報道している内容と、自分の感覚が著しくちがっているとき、市民は「何か危機的なことが起こっている」と感じてより一層守りに入ります……。



ところで、私は料理が大好きなんです。
どんな料理でもとにかく好きです。
料理は本当に簡単に誰かを幸せにできる、すばらしいこと、賜物です。

子供のころから料理をしてきましたし、食の安全にも関心を持ってきた私ですが、
シングルマザーで起業したという事情から、
経済的な面で家庭を支えることを最優先に考えてきました。

でも、ポスト・フクシマでは食の安全を確保することが経済的な豊かさよりも子どもにとって財産になる可能性が高いと考え、優先順位を変えました。

食事はでき得る限り手作りすること。
食材は安全が確信できる地域のものを使うこと。
加工品はできるだけ使わないこと。
産地の管理がしっかりしている、比較的ストイックな生協に加入すること。
今まで味の面から敬遠していたオージービーフも買うようになりました。
燃料のことを考えて買うのを控えていた遠い地域のものも買うようになりました。
この短い期間に、今まで大なり小なり理由があって積み上げてきた購買のパターンをずいぶんトレードオフしました。

客観的に考えて、大気や水、海洋や土壌といった環境の基礎を侵した汚染から発生した複合的な汚染の場合、どれだけ気をつけても汚染の影響を受けざるを得ません。

外食を100%やめては社会生活に支障をきたしますし、
子どもだってお友達といっしょに食事する機会を楽みたいだろうし、
市販のお菓子だって買いたい、買い食いだってしたい。

それをさせてあげるためにこそ、私が普段口に入るものをできる限り手作りして、安全を貯金するのが有効だと思います。

基準値内に汚染された食品を食べるようプレッシャーをかけるような風潮が政府やマスコミ主導で行われており、一般市民の中にもそれを支持する人たちがたくさんいるように感じます。

しかし、公害の被害者にならないことが一番良いことです。

被害者として国や東電などに勝訴するよりも、被害者にならないことがずっと良いことなのです。

被害者にならない道があるなら、勇気を持って賢くその道を歩むべきです。

公害の被害者にならないよう個人が気をつけること、これは国益でもあります。

生産者のために私たちができることは内部被ばくし、心中してあげることですか?

私はそうは思いません。

健康とは、感傷や同情などと引き換えになるような甘いものではありません。
それが誰かを救うというのならまだしも、逆でしょう。
内部被ばくによってこの先近い将来に健康被害が出れば、生産された地域が更にうとまれるだけなのです。

出荷停止の放射能汚染された作物を確信犯で出荷し販売して消費者が食べちゃった、という事件が後を絶たない(それすら氷山の一角に過ぎないと思います)ことが、なによりも「市場に出回っている食品は安全」ではないことを明白に示しています。

こうなってくると生産者は守ってあげるべきかよわい「被害者」などではなく「脅威」になってしまいます。

(残念だけれど生産者の職業倫理がこの程度なら、今後流通業者による産地偽装もあると思います。)

これは何より、今が他人に同情なんかするより自分の身を守らなければならないタフな局面なのだという現実を、私たちに突き付けているのです。

本当の解決策は、国が出荷停止の作物を買い上げることなのです。
そうすれば、生活や将来の追いつめられた生産者が健康に害があるのを承知で出荷停止の作物を市場にのせる、などといったことは起こらないのです。
国がそうしないのには、当然理由があるはずです。
後で保障としてお金を払う方が、市価で買い上げるよりも安上がりで済むロジックが何かしらあるのかもしれません。
事を過小評価している姿勢を続けることが訴訟で有利になるのかもしれません。言い方は悪いですが「しらをきる」ためには常に「知らなかったわからなかった」という姿勢を貫く必要があります。

他に選択肢があるのなら、疑わしい食品は買わないのが正解です。

デルモンテやカゴメが福島県産の農家と契約しない、とニュースになったときには安堵しました。
マスコミがあんまりにも福島県産を食べろと運動していて、生産者の側に立つ人々ばかりを報道するので、そのような中で消費者の側に立つことを初めて宣言してくれた大企業の存在が頼もしかったのです。

そもそも1企業の姿勢として、仕入先をお得意先より優先するなんて、そんな商売はこの世に存在できないでしょう。システム会社だってお客さんより協力会社を取るなんてことは非常識です。感情や信頼関係がどうあれ、立てるのはお客さんです。
そういう常識外れのことを美談に仕立て上げるTVは、いったい誰に向かって何を目指しているのでしょう。


■放射能汚染された食品を食べるようプレッシャーをかける一般の人々

さて、Twitterでも汚染地域の食べものを食わないのはノイローゼだ、みたいに言ったり、
ミネラルウォーターを買う老人はリテラシーが低い、などと言ったり、
○○の食品は安全なので食べましょう!と言ったりする人は、
どうも男の人が多いように思います。

女性にももちろんそちらサイドの人はいるのですが、(いっぱいいます。そして怖いです)
「私は買いました」
「私は食べてます」
「私は飲んでます」
という宣言が含まれる発言が多いんですよ。

男、女、とだけ分けるのもおかしい話ですけれども、その、文句を言っている男の人は、家族の食事を作る役目というのを経験したことのない、食への意識の低い方が多いような気がしています。

私の独断と偏見…
・奥さんやお母さんが作ってくれたものとか、お店で出されるもの、コンビニ弁当などの姿でしか食を捉えていないから、そこに含まれている栄養素をあたかも架空のもののように捉えている。
・食事を作っている人間が見て、地に足のついた意見を言ってこない。
・なんだかイライラした発言が多いように思う。(多分昔のドラマだったら「うるさーい!」ってちゃぶ台ひっくりかえしてる)


中にはスーパーでこういう人がこういうものを買ってたとか、
結構な高級住宅地のスーパーで人の買い物を覗き込んでどうこう言うような男の人も…。

うっ……

男のくせに、とか、女の腐ったような、とか、あまり言うべきじゃないと思いますけど、
男子が他人の買い物かごの中身に興味を持つのはいかがなものかと。
いつも通り、見たこともないみたいな顔しておいて欲しいです。


■食へのこだわりは自由

食へのこだわりは、ひとによってはたくさんあります。

私の食へのこだわりの一部(以前からの)
防かび剤を避けるため外国産のレモンを買わず国産レモンを買ってます。
中国産の野菜、食品は買っていません。
はちみつは大気汚染や放射能汚染の影響を受けやすいので厳選しています。
砂糖は基本的に精製されていないものを使っています。
もちろん栄養についての本を読んだり、食べ合わせの良い栄養素や吸収しやすい調理法なども気をつけたりして献立を考えています。
TVで言っていることを鵜呑みにするのではなく、いろいろな角度から調べたり、人にも相談をしたり話し合ったりして、健康に良い食事について考えています

etc.



こうすると、エンゲル係数は当然高くなります。
ワイドショーなどで節約アドバイザーという方が家計簿をチェックして、何人家族なのに何万円の食費はかかりすぎだ、などとおっしゃっていますが、価格を抑えると当然、質の良い食材は使えなくなると思います。

でも、医食同源ですからそれだけの価値があると考えて、そういう選択をしています。

もちろんそうやって家族の健康に気を使っても、誰も気付かず誰も誉めてくれませんでした。
美味しい、ということに比べて評価されにくい分野です。
最初の夫は3時間かけて作ったものも15分で食べてましたしね…

主婦の仕事なんてそんなもんです。

だけどそれが自分や家族の健康のため、主婦の務めだと信念を持って、食に関する知識をコツコツ集めて、一生懸命やってる人もいるんです。

…とまあそんな風に食に気を使って、数多くのルールの中で食材を選んで食事を作ってきたけれど、
今まで誰もそのことについて文句を言ったことなんか無かったですよ!

防かび剤は合法だしスーパーに並んでいるんだから安全なんだ、カルフォルニア産じゃなくて高知産のレモンを買うのは風評被害だ!リテラシーが低い!防かび剤とワックスのたっぷり掛かったレモンの皮をすりおろしてチーズケーキに入れて食え!!
なんて言う人、一人もいませんでしたよね??

やっぱり、今の、汚染地域のものを食え食えって言う状況、異常じゃないですか?
原子力安全神話が終わった日…
5月6日、管直人首相が、浜岡原子力発電所を停止するよう中部電力に要請しました。

日本国家は、「原子力発電所は絶対に安全だ」とずっと言ってきました。
原発村と呼ばれる電力業界や関係機関、そして学者といった人々にお墨付きを与え、合理的な反対意見を全面的に否定し、冷笑をあびせて、資本主義の敵であるかのように貶めて笑い者にしてきたのです。

ところがこの国の宰相が一見は安定稼働中の原子力発電所について、「停めろ」と言った。

安全策を講じてから再開というような可能性があるようなことを言っているけれども、
浜岡原子力発電所は原発反対運動のいわば象徴です。
東海大地震で被災する可能性が高く、活断層の真上に建っている、危険だ危険だと反対運動が一番さかんな原子力発電所です。
その浜岡原子力発電所を停めよということはすなわち、もちろんそれだけでは済まない、甚大な影響がある、ということは、管直人さんにはわかっていると思います。福島第一原発が危機的な状況に陥って以来煮え切らなかった腹のうちで、ずっとそのことを考え続けてきたのかもしれない、私はそう思います。

これは管首相の意思や意図を超えた、もっとどうにもならない圧倒的な流れ、時代が動いたということです。

20年ほど前、ソビエト連邦が倒れました。

チェルノブイリ原子力発電所の事故のあと、事故が隠蔽されていたことに対する国際社会の非難の中、ゴルバチョフ大統領は情報公開政策を本格化しました。グラスノスチです。過ちを認め、改善を図ったのです。

けれども結果として、グラスノスチは共産党を弱体化させ、ソビエト連邦を崩壊させる大きな原動力となりました。

共産党のソビエト連邦運営の経済的な行き詰まりや西側諸国との冷戦など、問題があったとはいえ、それでもチェルノブイリ原子力発電所の事故が、ひとつの巨大な国家を崩壊させるほどの力を持っていたことは確かです。

福島の原子力発電所の事故が日本の社会構造にどこまで影響をしていくのかは、計り知れません。

もちろんソ連のような多数の国で構成されるようななりたちの国家ではないし、
国際社会がその崩壊を待ち望んでいるような国家では(おそらく)ないので、
日本という国がばらばらになる、というようなことは当てはまりませんが、
国民からも国際社会からも基本的な信頼を失う出来事であったことは確かです。

原子力発電というものに関する政策は、今までとても偏っており、推進一辺倒で、国民にその是非を問うという機会がありませんでしたし、反対運動にも揺るぎなかったのです。
ところが管首相の要請で浜岡原発を停めろということになった。
法的な拘束力がないと言っても、この福島原子力発電所危機のもと、中部電力が断りきることは不可能でしょう。

国の後ろ盾がなければ、原発推進派の言うことに賛成してきた人々は手のひらを返すでしょう。

そうなれば、大きな利権の構造が変わるかもしれません。
もちろんなくなりはせず、新しいものが始まるだけだというところが肝心です。
私たち小市民はどこまでいってもその恩恵にあずかることはできない、それが利権というものですが、個々人がその変化の流れに翻弄されないようにしたいですね。

簡単に言えば、職を失わないように、失う前に転身できるように、お金を大切に、といったことしかできないのですが、でもそれが生活の大部分です。
自分や家族の職業や生活が電力の変化によってどう影響をうけるか(クーラーを何℃あげるというレベルではなくて)を良く考えないといけませんね。
社会の仕組み(の一部)が変わる時には、積極的に新しいことに耳目を開いてチャンスをつかんでいくほうが、生き延びられるんじゃないかな、と思います。始まったばかりってほぼタダでつかめるビジネスチャンスがあると思うので(でも騙されたりしないでくださいね)、がんばりましょう♪

ずる賢くタフに、乗り切って行きたいですね。




それにしても、原発安全神話が終わったのは3月11日だと思いますが、終わりを認めるのには時間がかかるものですね…この失われた56日について、改めて考えてみたいと思います。
浜岡原子力発電所を停止する、という発表は多くの人々にとって予期しないものでした。

私は預言者ではないので(最近原発に関する預言者を名乗る人がネット上にいると聞きますが)全く予想はしていませんでしたが、何か事態が大きく動く予兆はありました。

推進派だった学者の方たちが連名で反省文を出したり(原発推進学者が次々懺悔 「国民に深く陳謝する」J-castニュース)、同じく推進派であった小佐古元参事官が校庭の許容放射線量20msvに抗議をして辞任したり(小佐古・内閣官房参与の辞任表明文要旨)、といった、今まででは考えられないようなことが起こったことです。

私の考えでは、学者という人たちはその専門とする学問において、嘘を言ったり、真実を黙っていたりするのは割と平気な人が多いと思います。

一般人は学者と言えばもちろん自分達よりもその学問について良く知っているわけだから、何か意見を述べればなるほどと思って自分達の考えよりも正しいだろうと思うけれど、決してそうではありません。

まずひとつに、「このままでいいのか、いけないのか」という問いに対する答えというのは世間智がなければ出せないということ。学問の知識では解決しない、個々人で判断しなければならない事柄まで学者にゆだねるのはそもそも適任ではないということです。

次に、職業倫理の問題があります。

学者というのは間違いを言っても職を失うということはほとんどありません。
科学とは最先端では仮説と実証の繰り返しで、もちろん間違っていることもある。でも間違っていたことが何年か後に判明したからといってその学者がだめだということにはならない。間違いの中にも一定の成果があることもあるし、また何年か経ったら正しかったと言われるかもしれない。学者の世界はそういうものだと思いますし、きっとそうあらねばならぬのでしょう。

しかし、人体への放射線の影響など、まだ十分に解き明かされてはおらず有力な説として害があるという意見もある事柄について、安全なのだ、と宣伝したり、原子力発電所が絶対に事故を起こさない、と言い張ったりとか、そういったことをどうして良心の呵責なしにできるのか、と言いますと、これもあくまで私の考えですが、そこに彼らの職業倫理というものがあるのです。

つまり、学者とはその学問に奉じた者であり、その学問が今後も打ち捨てられることなく発展していくことに寄与することこそが彼らの職業倫理なのです。
だからどんなトンデモ説を唱えても、非人道的で非常識であっても、そこさえ踏み外さなければその業界で大きなポジションに安穏としていることができるのです。

簡単に言えば、その専門とする学問を専攻する学生が大勢いたり、研究予算が沢山ついたり、商業利用がたくさんされて世の中に受け容れられたり、世界の中でその学問をリードするアドバンテージを保持したり、といったことが、学問の発展に寄与したということになります。
一般人はそこを勘違いしてしまって、学者は学問が探究する「真理」を職業倫理として持っているはずだと思ってしまう、そこに大きなズレがあると思います。

ですから、たとえば消防士が放火をする、警官が万引きをする、という場合、それ以外の職についている人よりも罪が深く罪を償っても復職は100%不可能と考えられますが、学者が嘘を言っても学者で居続けることができます。

いわゆる御用学者というレッテルだけでは、なぜ彼らが間違ったことを平気で言うのか、という謎は解けないと思います。電力会社からのお金に目がくらんだ、悪魔に魂を売った、というのでは現実味があまりありません。
悪人ではなく、その人たちなりの正義に殉じているから手に負えないのです。

その人たちが自分達の誤りを認めるというのは、もう事態がそこまで窮まっているということです。
自分達が何をしたところで自分達の学問(原子力)はもうダメだ、むしろあがけば悪くなる一方だ、というところまで行ったのです。

残念なのは、多くの人々が被ばくする前、間に合う時点でこの判断ができなかったということです。
これは学者だけの責任ではなく、マスコミの責任は深刻だと思います。

本来であれば先に述べたような特徴を持つ学者からは専門的な事柄だけを聞き、選択肢を判断して発信するのがジャーナリズムではないでしょうか。
それを、「どうせよ」というところまで学者・他人に言わせようとするふがいなさ、政府やスポンサーからのプレッシャーがいくらあったにせよ、存在価値を問いただされるべきではないでしょうか。