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2013年02月

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会田誠作品集 天才でごめんなさい
会田誠
青幻舎 2012-12-31

by G-Tools , 2013/02/10



「会田誠さん作品:市民団体が抗議 「児童ポルノ」と批判」という記事を見かけた。

六本木ヒルズの森美術館で行われている「会田誠展 天才でごめんなさい」、年末に見に行った。
人は入るし、騒動になって彼を知る人も増えるし、想定通りの大成功ってとこだろうなぁ。

美術品はイベントとして「見る」というだけでなく「飾る」という楽しみがあって、もちろんその手前に「所蔵する」という上流階級の遊びがあるわけだけれど、今はコピーもきれいで楽しめるし、もうちょっと手を伸ばせば版画の何刷り目かを買うこともできるし、誰でも飾ることができる。

そうすると、他の芸術よりも顕著にこういう評価が美術品にはあって、

「感動したけど飾りたくない」

っていうの、それは例えば私の場合、会田誠の「ジューサーミキサー」。

「人がゴミのようだ」って天空の城ラピュタにムスカの名台詞がある。
ムスカのような「人間味のない独裁者」という人物像はありふれているけれど、
じゃあ実際にその心境を理解し、本当に共感することができるか、というと、わりと難しい。

ゴミ、という語彙にフォーカスするとちょっと語感が違うかなと思うけど、
人間に対する尊厳の感覚を奪われて、人がゴミや虫けらのように見えるのは、ああ、こんな感じなのかなぁ…と衝撃を受けたのが、会田誠「ジューサーミキサー」その他のたくさんの人物が重なり合った一連の絵だった。

とくに「ジューサーミキサー」は淡く血が溶けたようなジュースの色がまた、ジューサーミキサーの中で大豆ぐらいの大きさしかない無数の女の子たちが「ゴミのようではあるが生々しい肉体を持っている」リアリティで迫ってきた。数で見せることでだけ伝えられる「無意味」と、そこから絞りだされる「別の意味」…。

ああ、人が、ゴミのようだね…。

「犬」についても、ポルノだと言われれば、そうなのかもしれないと思う。
実際に「犬」を見た時に私はすごく劣情を刺激された……から。

しかし逆に言えばこうも思う。

たとえばこれがただの「四肢を切断されて首輪をつけた全裸の少女の絵」だったら、多分私はそんな気分にならなかっただろう、と。
私の性的嗜好にそれは含まれていないし、
それはおぞましく、
悪趣味で、
そんなものを喜ぶのはよっぽど取り返しのつかない心の病を患った変態で、
存在そのものが犯罪として取り締まられるべきだ、
…そう思うかもしれない。

でも、会田誠の「犬」は違った。
四肢を切断されて首輪をつけられながら、従順に四つ這いになり、清楚な満面の頬笑みを浮かべる美少女…それはあたかも、性犯罪者が裁判で述べる言いわけが具現化したかのようだ。
「醒めない夢」「強姦ではなく甘えただけ」「ドラえもんが助けてくれる」
……。

「あ、わかるかも…」と感じた。その、おぞましく、悪趣味な、犯罪的な欲望を。

犯罪者に共感するという意味ではない、正当化?それは決してない。

わかってもらえるだろうか。

…ニュースで異常性犯罪を数多く目にしながら理解することができない。
でも、”理解不能”という言葉だけではどうにもその恐ろしさを清めきれないのだ。
そんな日々の中で、ふっと、「もしかして、わかるかも」という感覚は、私の中の犯罪性を増長しただろうか?犯罪の情報に曝され傷付いていく心を救ってくれたのではなかっただろうか?

私たちはこの世で起こっていることに、折り合いを付けていかなければならない。
どうにかして。
そうでなければ、壊れてしまう。

たとえば会田誠がビン・ラディンに扮してせせこましい畳の上でこたつに当たりながら酒を飲んでくだを巻く「日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ」、最初に2004年の六本木クロッシングで見た時には見る者も畳に座るようにちょっとした小部屋になっていて(今回の個展ではもう少しオープンな空間になっていた)、そこに正座して「わたし、ビン・ラディンです、にほんご、あまり、…」という会田誠に肩を震わせて笑っていたけれど、

でも、
私とビン・ラディンの一番濃厚なつながりは、
この、会田誠のビン・ラディンなのだ。

たしかに、会田誠のビン・ラディンはただおちゃらけたコントのようでもある。
でも、そのあとで、何年も経ってから、「所詮はそんなものだったな、私とビン・ラディンの関係は」と思わせるのだ。それは次第に深くなり、日本という国で私という人間として生きながら知ったり感じたりしていることと、本当の自分とのギャップについて考える。それについて考えることでしか、世界に近付けないことを、感じている。

私には美術のことはよくわからないけれど、会田誠が”理解不能”な何かに「接点」をつけてくれるなら、ありがたいことだと思っている。



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会田誠作品集 天才でごめんなさい
会田誠
青幻舎 2012-12-31

美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか 美術手帖 2013年 01月号 [雑誌] カリコリせんとや生まれけむ (幻冬舎文庫) 山口晃 大画面作品集 ヘンな日本美術史

by G-Tools , 2013/02/10



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