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チェルノブイリ世代の憂鬱

ここでは、「チェルノブイリ世代の憂鬱」 に関する記事を紹介しています。

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25年前のチェルノブイリ原発事故が起こったとき、私は中学生でした。おぞましい大事件でした。
その3年後、高校の文化祭で図書委員会の展示でチェルノブイリ原発事故を調べ発表する機会があり、当時出ていた本を読みあさりました。

これが私にとっての原子力発電との出会いです。

十代の子どもにとって世界は単純です。

どんな悪いことが起こっても、「これからはどんどん良い世の中になる」と希望を持って乗り越えていこうとします。
この美しい希望は、いろんな世代の若者が経験した共通項です。
ただその時々の「悪いこと」が世代ごとに違っているだけで。
私にとって、それはチェルノブイリだったのです、偶然にも。

でも、世の中は決して良くはなりませんでした。
これもどの世代にも同じ、繰り返されてきた失望なのでしょう。

原子力発電はどんどん推進されていきましたし、チェルノブイリショックは忘れられ風化していきました。
原発に反対している人々は「アレ」な人、というレッテルを貼られて弱体・縮小化していきました。

「アレ」な人、というレッテルは非常に有効で、ナメクジに塩を振るのと同じように強力です。

こういった世間の姿を目の当たりにするは本当にショックなできごとでした。
チェルノブイリ原発事故そのもののショックとは比べ物にならないほど、私の社会観に影響を与えました。
(世界観は希望の光がささない暗闇で構築されるのです)
世の中というものの動きは、私の考えや希望とは違った方向のものだ、そしてそこには合理性すらない、ということを知ったのです。

以上がチェルノブイリ世代の衝撃・希望・失望だ、と私は考えています。

原子力政策が真実に民主的に選択されたものなのかは置いておいて、

多数決で決められたことに異義があり、かつその決定が自分の生命や主義を脅かすと考える場合、一個人はどのように振舞うべきなのか

これは私の大きなテーマでした。今もって。

消費税に反対、というケースなら、皆が決めたならじゃあ仕方ないから払おうとなりますが、原子力発電所に反対、というケースはどうすればいいのでしょうか。反対運動に実効性がないと知っているとしたら?

そんな時、個人がまずできるのはずる賢くなることかもしれない、と私は考えているのです。
世間的にはある程度合わせつつ、自分の備えをきちんとする。

それができるためには、いろんな事に自分なりの考えを持つ必要があります。政治に対して、科学に対して、社会に対して、人生に対して、自分なりの答えを持っていなければならない。

でも今の世の中はそういった「考え」をゆっくり育くむのに必要な精神的な「苦しみ」を嫌い、
「苦しみ」を排除したり忘れたりするための手段ばかりが膨大に生み出され、
果ては溢れる情報によって「考え」を自ら持つ必要がないかのような誤解が蔓延している。


私が伝えたいことは、そこに繋がっています。
それについて言えることは、ずっと言い続けて行きたい。
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