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血管腫(赤アザ)があって良かったことってありますか?

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震災以来久々ですが、血管腫の話です。

以前にも、顔にアザがあるなどの場合、美しくない・醜い、という以上に「目立ってしまう」というのが苦労する、と書きました。

今回は目立ってしまうことの悪い面ではなく、良い面について書きたいと思います。

小学生が自殺した、というニュース、わりと見かけますよね。
必ずといっていいほど校長先生が登場して「自殺はなかった」とか「把握していなかった」とか言い、
後の調べでやっぱりいじめはあった、という話になるのもお決まりのパターンですよね。

この校長先生、ものすごい悪者に見えませんか?


…でも私、すこし学校側の立場もわかる気がするんです。


学校側の、担任の先生や校長先生にとっては、一見、そこまでの状況には見えなかったのかも。
生徒に自殺して欲しいと思っている先生はまずいないと思いますが、
やっぱり、溺れているように「見えない」人を助けるのって、とても難しいんです。


子供のころ学校のプールで、溺れかけた同級生を支えて手助けしたことがあります。

プールの深くなっているところでちょっとパニックを起こしたのだと思いますが、とても静かにおぼれかけていました。
その子が足の立たないところで沈みそうになりながら息を荒くしてだんだん低くなるジャンプを繰り返しているところなど、ほとんどの人が気付きませんでした
そのとき私が思ったのは、

溺れているようにはなかなか見えないものなんだな…

ということでした。

顔に血管腫(赤あざ)がある私は、いろんな人に助けられてきました。

いやなことはいろいろありました(ものすっごくありました)が、受けた恩恵が大きかったことは否定できません。

ちいさな子どもの顔に血管腫(赤あざ)があったりしたら、たいていの人はちょっと気にかかるものです。
学校でいじめられて辛い思いをするんじゃないか、将来はどうなるのか、と想像しますし、
ほとんどの人は本能的に、子どもが不幸だという状況を嫌います。
そして、世の中がもっと救いのある場所だと思いだがります。
言うまでもなくこれは美しい感情で、私を強力にサポートしてくれました。

だからたとえば、

 ○ 小さな長所があると誉め、叱り、助言して伸ばしてくれたり

 ○ ちょっと元気がなければいじめられてるんじゃないかと心配してくれたり

 ○ 少々生意気でも見どころがあると許してくれたり、

というようなことをたくさん、数限りなくしていただきました。

こういったことをしてくれるのは、いわゆる人格者とか、良い人、優しい人、に限るわけではなくて、様々な人でしたし、あるときには私にすごくいじわるをしたような人がこういう面を見せることもありました。

中には完全に勘違いで、別に悩んでないのに、そんな意味じゃないのに、ちょっとした行動が思わぬ場面でウェットに捉えられて迷惑に思うことも…。
そんなとき、相手をバカみたい、と腹立たしく思いもしました。

私はアザだけじゃないのよ!と窮屈な時もあるのです。

でもそんな早とちりなおせっかいも、そのときは若気の至りで十分に感謝の気持ちを表すことができませんでしたが、後になって思えばとっても役に立ちました。
数え切れないほどの積み重ねが与えてくれた、「最終的に人は善良で求めれば助けてくれるんだ」、という信頼は、後々訪れた試練を耐える長く寒い時間、私を芯から暖めてくれたのです。

そしてその体験が、「理解してもらえないんだから助けにならない」と評価するのではなく、「たとえ理解なんかされなくても心触れあうことも暖めることもできる」という自信をもたらしました。


という経験から考えると、
溺れている人を助ける気は皆あるはずだ、と思うんです。

でももちろん、溺れている人を助けるより溺れることを未然に防いだ方が助かる確率は高いわけですが…

なぜ、溺れていない人を助けるのは難しいのでしょうか。

溺れていない人、つまりまだ表面化していない問題に介入するには大変な勇気が要ります。

未然に防げば、結果は「何事もなかった」ということになりますが、

何もなかったのに一人で騒いだ、と変人扱いされるかもしれないし、ことによると誰か(学校の場合、本人・他の生徒・父兄・教育委員会・上司である先生)が怒ったりするかもしれないですよね。
それでなくとも学校などの集団生活の場合、一人を浮かび上がらせれば他の誰かが沈むというバランスもあるので、手腕や作戦を問われますし、父兄の考えや家庭環境もあり、複雑な事情のどこを触っていいのか判断は難しいと思います。

人が人を助ける場面にクライマックスが求められるのは、こういった理由ではないでしょうか。

私も一人の子どもの母親として、
子どもには人の好意に甘えられるよう導いてやりたいと思いますし、
ちょっとした心の曇りにも気付いてやれるようでありたいとも思います。

でも、これさえしておけば安心、という必勝法はないのが人生ですから、祈り、畏れる気持ちは常にあります。


そして改めて、私にむけていただいた数多くの善意に、みなさんの中にある善なるものに、深く感謝します。
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