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国家と個人と福島第一原子力発電所危機

ここでは、「国家と個人と福島第一原子力発電所危機」 に関する記事を紹介しています。

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国家権力を恐れる気持ち、私もひとりの小市民として持っています。

この「恐れ」、この裏側には、頼りにしているという「期待」の面があるものではないでしょうか。

例えば、原子力発電所が危険なものであるということは(チェルノブイリ世代の憂鬱、で書いたように)私は大変危険だと思っていました。大事故を起こす可能性のあるものだ、とわかっていました。
でもそれでも「原子力発電所は絶対安全なんだ」という政策が推し進められたとき、私はこんな風に漠然と考えたんです。

「大事故を起こす可能性があるということは、偉い人たちにも当然わかっているだろう、それでも利益のために推進するのだから、いざという事態の時には裏のシナリオが用意されていて、事故に対応する気なのだろう」

って。
自分の認識と世の中のありようの間にブリッジをかけたんですね。あくまでも自分の世界観のバランスを保つためですが、私はしばしばこうやって世の中の理不尽さになじもうとしているような、そんな自己欺瞞の連続であるような、気がします。

この陰謀めいた国家像は、びっくりするほど裏切られました。
国には何の策もなかったのです。
ただの無能だったのです。
多分嘘だと思いますがこの福島第一原子力発電所の大事故は「想定外」の事態だなどと言って、隠蔽情報統制以外の働きではまったく有能さのかけらも見せませんでした。

それに気付いたのは、3・11から数日間の報道でこう感じたときでした。

政府はひょっとして、この事態をアメリカ軍がなんとかしてくれると思っているのか?

報道のバイアスもあると思いますし、これは理屈というよりは勘のようなものなのですが、とにかく強くそうとしか思えない、と感じたんです。
そして、それはとてもお門違いなこと、恥ずべきことのように感じました。
安全保障条約は少なくとも表向きには内政に関わるものではないし、そもそも自国民を危険にさらしたくないから他の国の国民にそれをやらせるというのはあり得ませんよね。
憲法9条だって原子力発電所の事故を収束させるような活動を放棄してはいません。

安全保障条約や憲法9条が日本を骨抜きにしたのではないのかも…?
戦争放棄によって平和を愛し守るのではなく、人を死地に赴かせる力がないだけではないのか…
そしてその一方では次々と放射線基準値を引き上げ、国民の命を大切にする姿勢が見られない…
こんな国を国際社会は一人前に見てくれるのだろうか…

心底、日本の国家に失望しました。

今、東電と政府は、福島第一原子力発電所の原子炉を冷却し、9ヶ月以内に事態を収束させるという夢のような話をしています。
「スケジュールは間に合いそうにもないし、実現すら不可能そうに見えるけど、私より賢くて偉い人が大勢で考えて一生懸命やってるんだから私がわかってないだけできっと何かすごい解決策を隠し持っているんだ」
という気持ちは必ずや……

じゃあ国家なんて恐るるに足らんのか、っていうと、どっこいそんなことはない、相変わらず個人は弱く国家権力は強大なのですから、暗澹としますね。

こういう気分のときどうするかって言ったら、もう、音楽を聞き、小説を読み、絵画を見る、これしかないように思うんです。
あれ?現実逃避のように聞こえるかな?
だとしたら、私の言いたいことが十分に書けていないのだと思う。
むしろこう書いた方がいいかもしれない、

こういう思いや行き場のないエネルギーをどうするかというと、もう、音楽を作り奏で、小説を書き、絵を描く、そうするしか表現のすべがない。

ほんとに。
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