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「絆」 3.11から1年過ぎて

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絆、という言葉が流行り、2011年を表す漢字にも選ばれた。
しかし震災のがれき受け容れでは多くの自治体がNOと言う。
この状況について「おかしいのではないか、絆というのは口先だけか」という批判の声がある。

私はおかしくないと思う。
絆というのは排他的なものだ。
絆とは、家族、友人、仕事の同僚やスポーツ・趣味などの仲間など、自分に深い関係のある人に感じるもので、会ったこともない人に絆を感じたりはしない。
もちろんこの関係は相対的なもので、日本人としての絆が深まるとすれば海外に対して排他的になる、という形で実現する。
要するに、絆という言葉が流行るくらいだから皆、遠くの人より自分の周りの大切な人を守りに入ってるわけで、そういう人々ががれき受け容れにNOというのはまったくすんなり腑に落ちる話だと思うのだ。

人は皆孤独だ、という言葉に多くの人が共感すると思うが、その共感が孤独を癒しはしない。絆という言葉に多くの人が共感したとしても、同じことだ。

この一年、様々なことを考えてきたが、結局ものごとを複雑にしているのは原発なのだと思う。
被災地にも素直に復興を望まれ励まされる場所もあれば、原発の放射能に激しく汚染された地域に対してどのような状態を望むのか人それぞれ分かれる場所もある。非常に差別的なことだけれど事実としてある。

差別的な気持ちが含まれたビジョンには力がない。

そんな状況を打破するための夢は、汚染された地域を全部除染するとか、今後原発事故が起こらないように原子力発電所そのものをできるだけ無くして行くとか、そういうことを信じられるような政治があればいい。

しかし、この一年の政治を見て「あり得ない」と悟った。

全ての人が幸福になることを一生懸命考えているんだ、という夢(幻想)が無い限り、ビジョンには力がない。

誰かにビジョンを注文して横着しようという気はないのだけれど、政治でなければできない大きなことがあるのは事実だ。
そこに強い閉塞感、打破できない壁があり、すると、私の中の日本地図には農作物や水産物を買いたくない産地が明確に色分けされていて、日本という国に対して何かを思う【資格】が自分には無いのだ、という気持ちになる。

暗い気持ちに。

絆、ねぇ……。


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