おすすめ度:☆☆☆☆☆
知人がFaceBookで「サルミアッキアイス」なるものについて投稿していた。
なんでも「猛烈にあまくて、とんでもなくえぐくて、そしてしょっぱい」食べ物らしい。
その正体は海藻を煮詰めたフィンランドの菓子らしいのだが。
その「えぐみ」というキーワードに、ふと記憶を呼び起こされた。
日本にもえぐみがある菓子があるとどこかで読んだ、という記憶である。
そう、確かそれは餅のようなもので植物が練りこまれており、「一口しか噛んではならない」。
一口噛んだら即呑み込む。そうでなければ口の中がえぐみで痒くなるというのだ。
店で売っているようなものではなく、野草の類を手作りでこさえた珍味だったような…
そうまでして食べたいほどの美味。いったいどんな味なのか。
一度思い出すと無性にまた読みたい。
できれば食べたい。
そうだ、こんなことを書きそうなのは團伊玖磨さんだろう、とあたりをつけ、Kindleストアをのぞいてみたら、
なんと、名随筆と名高い『パイプのけむり』から『食』をテーマとして選集が出ているという。
パイプのけむりといえば何十冊もあるあの本、正方形のような形で、実家の書棚から手に取ってソファーに丸まって読んだあのビニールのカバーの柔らかな感触まで鮮やかによみがえる。
ポチッと購入。
そしてKindleの機能を駆使して「えぐい」「えぐみ」「かゆい」「あく」などで検索するも見つからず。更に「いがいが」なども検索してみるがなおも見つからず。
あきらめきれずに速読で確認しようとぱっぱとページをめくる。
ところが目の端にうつる言葉のいちいちが懐かしく、新鮮で、興味深く、気づくと手を止めて読んでしまっている。
いやいやそれは後からじっくりと。今は探そう、とまたぱっぱとページをめくるも、気づくと手が止まって…
面白い。
それで、やっぱり團伊玖磨さんは、えぐみや痒みに非常に興味が深かったのではないかと『筍』を読んで考えた。
えぐみや痒みが團伊玖磨さんにとって特別なものとなったのは、小指の怪我と関係があるのではないだろうか。
ピアニストを目指していた若き日、小指の怪我がもとでその夢を断念した團伊玖磨さんは、作曲家を目指すこととなる。
もし彼が小指を怪我していなかったら「ぞうさん」はかあさんとよりそうこともなく、「夕鶴」が大事なよひょうを思って泣くこともなく、「花の街」を風のリボンが流れることもなく、「やぎさん」がとどいた手紙を食べちゃったり「ありさん」がごっつんこしたりすることもなかったのだ。
そして30年以上の連載を誇った名随筆『パイプのけむり』も生み出されることがなかった…
そう考えると運命の不思議を感じるが、ただ単にピアニスト兼作曲家兼エッセイスト、ということになっただけかもしれない。
天は二物も三物も与えるからねぇ。。。
もしかしたらえぐみ・痒みとは、團伊玖磨さんの知性そのものなのかもしれない。
ピアニストの夢をあきらめる、というともすれば悲劇にとらえられがちなエピソードを、なんとも滑稽にユーモラスに超えて行く、その跳躍の先に、日本を代表する作曲家と、名随筆家として充実した花を咲かせた團伊玖磨さん。春が来るたびむず痒い、何度も繰り返し芽吹くその命。
名随筆は死なない。と、團伊玖磨さん没後10年以上経って、改めて。
音楽も、またしかり。
来年はオペラ「夕鶴」が上演されるそうだ。
知人がFaceBookで「サルミアッキアイス」なるものについて投稿していた。
なんでも「猛烈にあまくて、とんでもなくえぐくて、そしてしょっぱい」食べ物らしい。
その正体は海藻を煮詰めたフィンランドの菓子らしいのだが。
その「えぐみ」というキーワードに、ふと記憶を呼び起こされた。
日本にもえぐみがある菓子があるとどこかで読んだ、という記憶である。
そう、確かそれは餅のようなもので植物が練りこまれており、「一口しか噛んではならない」。
一口噛んだら即呑み込む。そうでなければ口の中がえぐみで痒くなるというのだ。
店で売っているようなものではなく、野草の類を手作りでこさえた珍味だったような…
そうまでして食べたいほどの美味。いったいどんな味なのか。
一度思い出すと無性にまた読みたい。
できれば食べたい。
そうだ、こんなことを書きそうなのは團伊玖磨さんだろう、とあたりをつけ、Kindleストアをのぞいてみたら、
なんと、名随筆と名高い『パイプのけむり』から『食』をテーマとして選集が出ているという。
パイプのけむりといえば何十冊もあるあの本、正方形のような形で、実家の書棚から手に取ってソファーに丸まって読んだあのビニールのカバーの柔らかな感触まで鮮やかによみがえる。
ポチッと購入。
そしてKindleの機能を駆使して「えぐい」「えぐみ」「かゆい」「あく」などで検索するも見つからず。更に「いがいが」なども検索してみるがなおも見つからず。
あきらめきれずに速読で確認しようとぱっぱとページをめくる。
ところが目の端にうつる言葉のいちいちが懐かしく、新鮮で、興味深く、気づくと手を止めて読んでしまっている。
いやいやそれは後からじっくりと。今は探そう、とまたぱっぱとページをめくるも、気づくと手が止まって…
面白い。
それで、やっぱり團伊玖磨さんは、えぐみや痒みに非常に興味が深かったのではないかと『筍』を読んで考えた。
よく味わってみると、何処か遠くのほうでいがいがとむず痒い感覚もしないでは無いが、そのむず痒さを呑み込む快感が味を一段と引き立てることが理解されて、春が来る度に、これが春の味なのだ、大地にとって春はむず痒いのだ、これはその味なのだ、と思う。
(さてパイプのけむり 『筍』)より
えぐみや痒みが團伊玖磨さんにとって特別なものとなったのは、小指の怪我と関係があるのではないだろうか。
ピアニストを目指していた若き日、小指の怪我がもとでその夢を断念した團伊玖磨さんは、作曲家を目指すこととなる。
もし彼が小指を怪我していなかったら「ぞうさん」はかあさんとよりそうこともなく、「夕鶴」が大事なよひょうを思って泣くこともなく、「花の街」を風のリボンが流れることもなく、「やぎさん」がとどいた手紙を食べちゃったり「ありさん」がごっつんこしたりすることもなかったのだ。
そして30年以上の連載を誇った名随筆『パイプのけむり』も生み出されることがなかった…
そう考えると運命の不思議を感じるが、ただ単にピアニスト兼作曲家兼エッセイスト、ということになっただけかもしれない。
天は二物も三物も与えるからねぇ。。。
もしかしたらえぐみ・痒みとは、團伊玖磨さんの知性そのものなのかもしれない。
ピアニストの夢をあきらめる、というともすれば悲劇にとらえられがちなエピソードを、なんとも滑稽にユーモラスに超えて行く、その跳躍の先に、日本を代表する作曲家と、名随筆家として充実した花を咲かせた團伊玖磨さん。春が来るたびむず痒い、何度も繰り返し芽吹くその命。
名随筆は死なない。と、團伊玖磨さん没後10年以上経って、改めて。
音楽も、またしかり。
来年はオペラ「夕鶴」が上演されるそうだ。
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